こんにちは🌸
いわくら観光振興会の木村です。
さあ。
今日は、周期的にやってくるマニアックなテーマなブログの日です。w
ズバリ「岩倉町道路元標」について~!
道路元標(げんぴょう)とは・・・
大正8年(1919)に、道路法施行令が公布され、
市町村単位での道路の起点・終点および
町村の位置を示す指標として、道路元標の設置が義務付けられました。
この公布に基づき
大正9年以降に各市町村によって設置されたものが「道路元標」です。
個々の道路元標の設置場所は国が指定したのではなく、
各市町村の裁量に任されていました。
基準となるものなので
所在がはっきりとする場所、
人の往来が多く、人目に付きやすいところ
主に道路の脇などに設置されました。
しかし、昭和28年(1953)に施行された
町村合併促進法によって、旧町村が統合・合併し、
旧町村の道路元標が必要無くなってしまいます。
また、同じ年には道路法も改正され、
道路元標の設置・保守義務は無くなってしまい
道路の拡張工事などの際に、廃棄処分されてしまったり
元あった場所から移築して資料として残したりしたものも多いのだそうです。
では、
岩倉市の道路元標はどうでしょうか?
まず、道路元標現在の位置ですが、
岩倉市商工会館の入り口、道路沿いの神明太一神社側のあたりにあります。
👇 丸のついているところです
この道路は「岩倉街道」といわれる道で
現在の清須市から犬山市までを結ぶ道路です。
名古屋城下から岩倉へ、さらに犬山に通じる道として栄えていました。
この岩倉市商工会館周りだけでいえば、今は多くは民家やマンション、
駐車場などになってしまっています。
昔はどんな場所だったかを紐解く必要がありそうですね💡
まず
公布に基づき大正9年以降に各市町村によって設置された
という点から
大正9年前後、この場所がどんなところだったか見ていきます。
昨年、岩倉市は市制50周年を迎え
市の50年の歴史を振り返る事業がいくつか展開されていました。
その中で、昔は今の岩倉市商工会館のところあたりに郵便局と派出所があったという話を
聞いたことがあったので、
それをヒントに調べていくことに。
郵便局から歴史を見ていくと
明治 9年 岩倉村中市場231にあった
明治14年 字西出口16に移動
明治36年 西出口70-1に移動
大正12年 下市場111-2
昭和16年 大字岩倉字西出口30-1 に移動していることが分かりました。(町史より)
現商工会の住所が 岩倉市中本町西出口31-1 なので
昭和16年の郵便局の住所は位置的にほぼその位置であることが分かります。
(おそらく今は商工会となりの駐車場になっている土地)
時系列でみると大正9年前後にはまだ移転していないことになるので
元標がみんなの利用する郵便局があるから建てた?という私の1つの仮説は崩れることに。
ではもう1つの説 派出所
岩倉町警部補派出所は
大正10年 大字岩倉字西出口31 にあったとのこと。(町史より)
時期的にも、住所もほぼ近いので
・街道沿いであること
・岩倉町警部補派出所の前であること
から、岩倉町の道路元標はここに建てられたのでは?と考えます🙋
これはあくまでもわたしが推測した理由なので
実は今あるものが移動させられた元標かもしれないし、
他の理由があったかもしれません。
何かご存知の方がいらっしゃったら
ご一報いただければ嬉しいです。
NPO法人いわくら観光振興会 木村 さや香
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