鮫川に有った橋の話 | いわきの空の下

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サーフと港での釣りの話を中心に、思いつくままUPしています。

おばんです。はい!モヤモヤしちゃってるおじさんです。

今夜は、久しぶりに「昔の鮫川の話」してみようかと
タイトルにあるように、鮫川に架かっていた橋のお話。

おじさんが、中学生のころまでは、鮫川には沢山の木製の橋がありました。
そのほとんどが、対岸から農作業の利便を確保するための橋でした。
おじさんの記憶もあいまいになりましたが・・・
いまだに、記憶に残る橋の話です。

イメージ 1
昭和50年航空写真 左から常磐線の鉄橋。鮫川橋。今回のお話の橋。そして鮫川大橋。


この橋は、かわを挟んで対岸の錦町地区から植田町の農地(写真下側が錦町。上側が植田)へ
向かうために作られたと思われる木製の橋です。
子供のころは、鮫川橋は車が結構走っていて、トラックなどが走ると。自転車や歩行者はかなり怖い思いをして渡ってました。
まだ、歩道が整備されていないい状態でした。

っということで、錦や須賀へ行くときは、この橋をよく使っていました。
当然、木製の橋で車は、渡れませんでしたので、小学校や中学の遠足の時も
よくこの橋を渡った記憶があります。
ただ・・・橋の名前は今では全く思い出せません。
(どなたか知ってましたら教えてくださ)
この橋は、昭和52~53年ぐらいの間に、洪水で流されて再建されなかったか・・
或は、取り壊されたようです。

河川敷のグラウンドで、野球をして橋を渡って錦側の店に飲み物を買いに行った記憶もあります。
懐かしい橋でした。

今では、錦側に橋が架かっていた頃の、道の曲がり方に面影が少し残っているだけです。
橋げたがあったあたりも、最近まで、名残がありましたが今では全く分からなくなってしまいました。

寂しい限りです。

ではまた、鮫川の記憶が思い出されたときに・・・