東日本大震災から13年が経ちました。
3月11日には、休みを取って、今年も追悼の日を送りました。
当日は、3月8日に逝去されたとてもお世話になった親戚のおじさんの自宅へ伺い、棺に入ったおじさんにお別れの挨拶を。
数年お会いすることはできませんでしたけど、昔と変わらない顔立ちで。
もちろん、その後のお通夜にも参列させて頂きました。
以前は実家の近所に住んでいて、家族ぐるみで行き来してました。
その娘様には家庭教師をしてもらったことも。
思い出いっぱいです。
さて、本題に戻りまして、
始めは車を北に走らせ、浪江町にある震災遺構の請戸小学校を見学してきました。
津波の恐ろしさを改めて感じることができます。
残念ながら、いわきでは震災遺構になった建物はありません。
その請戸小学校の一角に、震災後に毎年咲かせる桜の木があります。
13年の長さを感じます。
その後で、車をいわきに向けて走らせ、途中の楢葉町にあるここなら笑店街にて昼食と、そこに献花台がありましたので献花をさせて頂き、能登半島地震の募金箱にも募金させて頂きました。
そして、いわき市主催の追悼式に。
東日本大震災発生した時刻には、まだ会場に着けず、車の中で手を合わせました。
その後でここでも献花させて頂きました。
そして、夕方には地元の薄磯にあるいわき震災伝承未来館で、語り部の話を聞いたり、紅白歌合戦で嵐の櫻井翔さんが弾いたこともある奇跡のピアノによるミニコンサートを聴いて。
外には、思いが書かれた黄色いハンカチ?と燈籠。
一瞬にして失われた大切な命に、少しでも寄り添えたでしょうか?
途中で宮城県石巻で津波で大切な息子様が行方不明のままの御母様に連絡させて頂きました。
その御母様は、毎年3月11日は1日中お寺で過ごされています。
現実、追悼式や追悼に関することが簡素化されています。
風化させてはいけないとよく聞きますが、そのギャップを感じます。
でも、同じ思いの方々や、自分だけでも、甚大な被害をもたらした東日本大震災をこれからも伝えていきたいと思っています。
追伸
双葉町を車で通った時、放射線量の表示板ありますが一年経っても数値は変わってません。また、国道の両側はバリケードがまだあります。