4月1日  ある20代女性記者の死 | 岩上安身 オフィシャルブログ powered by Ameba

4月1日  ある20代女性記者の死

ちょっと痛い話ですが。今日、記者志望の若い方と話していました。かつて大手新聞の記者として仕事をしていた方ですが、やめたきっかけは同僚の20代前半の女性記者の過労死だったそうです。
20代も、 30代、40代、50代も、年代に関係なく無意味なまでの激務に倒れてゆく…。

「新入社員の4月1日が、一番頭のいい時。以後、自分の頭で考えて物事を判断するのではなく、上から命じられた業務を、朝から晩までひたすらこなす、ただの組織の歯車になってしまう。
全体主義もいいところ」と。「記者クラブの中で働かされている記者も『被害者』なんです」

同僚の若い女性記者の過労死に際しても、皆、感情をあらわさず、お通夜に出た後は、また、サツ周りに散ってゆく。
乾ききったふるまいにショックを覚えたが、そこに追い打ちをかけたのが上司の言葉。
「仕事の途上で死ねた、本望だっただろう」。
何を言うか、と激しく心の中で反発した、という。

こんな過酷な労務環境でも、仕事の内容に意味や価値を見いだせたら、やめなかったかもしれない、という。
「でも、実際は、官僚の発表する情報を垂れ流すだけ。警察や検察の情報に関してはひどかった。嘘の情報でもなんでも垂れ流す。現場で見てきたから、岩上さんの言うことが事実と知ってます」

「心やさしい人もたくさんいる。でも、軍隊のような組織に入ったら、命令に絶対服従しなくちゃいけない。それと同じ。嘘をついちゃいけないとわかっていても、嘘をつかなきゃいけないとなると、本当につらい」。やめていく人間はあとを絶たない。そうした人間を「負け組」扱いする風潮もある。

早期退職組を「負け組」扱いする風潮は、マスコミという業種に限らない。
だが、「元祖」早期退職者として断言するが、それこそは、マスコミとともに作り上げた誤った「空気」である。
表向きは「社会正義」の旗を掲げ、内部では、無残な過労死続出という環境では、自己矛盾にどれほど苦しむか。

死んでしまったら、おしまいなのだと、僕は若い人に(中年にも)声を大にして言いたい。組織のいいなりになってあっけなく死ぬ前に、逃げろ。はいずりまわって逃げ回って、生き延びろ、と言いたい。背後から聞こえてくる「負け犬!」「負け組!」などという罵倒には、一切耳を貸すな、と。

大新聞を若くしてやめたその人は、幸い大きなトラウマを負わずにすんだ。海外に出て、海外のメディアの記者たちと知り合って、日本のマスコミがどれだけ「異常」か、実感したからだ。
間違っているのは自分ではない、あちら側なのだと。


僕は今、新聞記者が「専業」である必要などないと、あちこちで、ぬけぬけと言い切っている。
パートでいい。
その若い「友人」は、うなずき、「できればフリーのジャーナリストとして再起したい」と語った。
僕は「無理しなくていい。『時々、全力』で、用は果たせる。死ぬ必要などない」と続けた。