二つの新都心 | 岩上安身 オフィシャルブログ powered by Ameba

二つの新都心

今日は、朝から雨で、ランニングは休み。



昼過ぎに幕張の千葉マリンスタジアムへ。ヤクルト対ロッテ戦を見に行きました。 




幕張新都心、だだっ広い。休日でオフィス街に誰もいないので、よけいにがらーんとした感じがします。 




で、千葉マリンスタジアム。



内野席の最前線は、ヘルメットをかぶらなくちゃいけませんが、あのかぶりつきの、金網のないシートは、ちょっと捨てがたい。



あの近さで野球を見ちゃったら、もう他の球場には行きたくなくなるんじゃないのかな? 




最高の球場の一つ、ですね、間違いなく。 




それと、マリーンズの応援。やっばり、かっこいいし、楽しい!。ノリがいい!。




僕の大阪での知り合いで、コテコテの阪神命の女の子が、一度マリーンズの試合を見に行って、いっぺんにハマってしまい、タテノリ命になってしまった子がいました。 




なーるほど、その気持ち、わかるなあ、と思います。他方、我がヤクルトは、といえば、何しろ、東京音頭ですから(笑)。傘を持って、「あ、ヨイヨイ!」ですから(笑)。 




昭和対21世紀(笑)。 




なんだろうなあ…。 




パ・リーグは、セに比べて遅れていたし、幕張は、開発が遅れていたし。 




でも、かつて遅れていたランナーだから、何もかも今、新しい。垢抜けている。 




昭和の温かみも大好きですが、悪くないなあ、この新しさも、と思います。 




ただ、バブル弾けて以降の長期不況が、この新都心を建設した、莫大な投資の償還におもーくのしかかってるんじゃないかなと、それがすごく気になります。 




同じことを、夕方から出かけたさいたま新都心でも感じました。 




さいたまスーパーアリーナで開かれたMTVビデオ・ミュージック・アワーズ・ジャパン2009。




アウトドアのご縁で知り合った、同社のマネージャーのカナダ人Pさんから、ご招待を受けて拝見。 




レミオロメン、EXILE、キマグレン、グリーンデイ、ケイティ・ペリー、ビッグバン…、いやあ、まとめて、生で見れるとはありがたい。 




大いに楽しませてもらったのですが、この箱の大きさ、新都心のスケールのでかさ。 




今まではともかく、大不況の現在と未来を考えると、いろいろ気になります。人口も、猛烈な速度で減っていってしまいますし。 




需要、つまり消費市場は、どんどん縮んでいきつつある。




スポーツに音楽。この華やぎが、ずっと続けばいいと思うのですけど。 




いやいや、皮肉や冷笑などではなくて、本気で思うのです。日本は、何があっても、笑顔が絶えない、幸福の大国でなくては、と。




ノーベル経済学賞を受賞したばかりで、おそらくは今、その発言が世界で最も影響力のあるポール・クルーグマン教授は、5月19日の講演で、世界の需要の縮小について、「輸出先にもう一つ惑星が必要」とまで、言い切りました。




もちろん、他の惑星に輸出することなどできません。不可能です。教授は、「さもなくば」と続けました。「第三次世界大戦が起きない限り、この不況は続く」と。




つまりは、世界大戦は不可避だということです。不況に苦しむこの世界に、必要とされている、というのです。




この、あまりにも刺激的な発言が行われた場所は、なんと、38度線で北朝鮮と向かい合う、韓国の首都ソウルでした。




それから、半月もしないうちに、北朝鮮は、核実験とミサイル発射を強行して、世界を震撼させたのは周知の通りです。




戦争を欲している世界に、北朝鮮は、核ミサイルという挑発の火の玉を投げ込みました。 




炎上しないわけがありません。 




以前、この日記に、「戦後は終わり、新しい戦前が始まる」と、書きましたが、早くもその通りになりつつあります。 





いや、「新しい戦前」から、すぐに「戦争突入」となりそうな気配すらあります。 




暗澹たる気持ちになるのは、当然でしょう。




でも、こうも確信しています。たとえ、これから始まろうとしている戦争が、どれほど戦線を拡げようとも、いつか、必ず終わる日がくる、と。 




そのときまで、日本はどうあっても、幸福の大国であり続けなくてはならない、と。 




世界が、笑顔を忘れてしまったときにも、日本は笑顔を保存し続けて、思い出させてやらなくてはいけない、と思うのです。




平和は、ただ単に戦闘が終結しただけで、もたらされるのではない。笑顔が取り戻されて、初めて平和が回復したといえるのです。 




今から、戦争の向こう側の世界を構想しておかないと。第二次大戦突入の前に、戦後の構想を立てていた人は、ほとんどいませんでした。その愚は重ねて犯してはならないでしょう。  




それは、戦争を知らないけれど、平和と幸福はたっぷり、半世紀以上も味わった国の国民の、世界に対する責務ではないか、と思います。