しかしそれは、歪な一つの主従関係が成立する事を意味する。そこまで心を落としたら、これまで生きてきた自分を否定するような感じがした。
右手を開き、目の前に持っていく。この身体の中には、今は亡きおじいちゃんの誇り高き血脈が流れている。天皇陛下から授与された藍綬褒章や勲五等瑞宝章。
その栄誉を孫の俺が関係無いからと、そこまで魂を落とす訳にはいかない。
そして心筋梗塞へ二度掛かっても、生き残ったこの身体。これはあの時ジャンボ鶴田師匠が、声を掛け鍛えてくれた時期があったからこそ、継続でき屈強な身体を作れたのだ。
だから院長さえよく生きていたと驚いた状況の中でも、俺は起き上がり這いながらでも赤心堂病院へ辿り着き、九死に一生を得たのだ。
そして数々の裏切りと利用され、地獄に落ちたのはこの見極めの無さから。おそらく俺は相手のいい部分を探そうと、ゆったり受ける態勢のままどんな相手にも接してしまっていたのだ。もちろんこれは悪い事ではない。
幼少の頃から温かい目を向けられ、いつ会っても目を細め可愛がってくれた栗原名誉会長。
あの人の優しい親心に近い配慮が、俺の中の優しさの核になっている。
そしておおらかさの核となっているのは、間違いなく三沢光晴さん背中を見てきたから。
若さ故にジャイアント馬場社長の奥さんである元子へ、当時悪態をついた小僧だった俺。他のレスラーは全員俺を殴り蹴り、礼節の無さを正そうとした。その中あの人だけが、俺に手を貸して立ち上がらせてくれ、この小さなプライドを救ってくれたのだ。
あの時見た器のデカさ、そして寛容さは幻でも何でもなく、三沢さんの行動がすべて後の行動と繋がっていた。全日本プロレスを退団した三沢さんにほとんどのレスラーがついていった現実。プロレスリングノアを作り、多くの慕ってついてきた人間を最後まで見放さず面倒を見た。保険金も解約してまで満身創痍で試合へ出続けた三沢さんは、結果受け身を取り損ね、帰らぬ人となってしまった。
俺にとって四人の偉大なる背中を見てきたあの人たちは、全員この世にいない。何かを示すように全員が俺の誕生日である十三日と同じ日に、四人とも亡くなった。鶴田師匠は二千年五月十三日。三沢光晴さんは二千九年六月十三日。おじいちゃんは二千十四年十月十三日。栗原名誉会長は二千二十年九月十三日と、俺の誕生日と同じ日に……。
確かに落ちるところまで俺は落ちた。それでも先人たちのエキスを吸い、背中を見た俺は最低限度の矜持を持ったまま生きなければ価値を失う。
心筋梗塞で走馬灯を見て死に掛けた時、心から笑え怖くなかったのは何故か?
この最低限度の矜持だけは、失う事なくここまで生きて来れたからこそ、自分を嫌いにならなかったのではないか?だからあの時笑えたのだ。満足した人生ではなかったけど、そう悪い生き方ではなかったと。














































