たばこの問題

 

◇ たばことコーヒー 

 昭和42年に工業高校を卒業して社会人になったのでよく覚えているが、この年のハイライト一箱は70円で喫茶店のコーヒーも一杯70円だった。たばこを買うのに百円玉を出すと30円のおつりが返ってきたし、喫茶店でも30円のおつりが出た。毎日たばこを買い、毎日のように朝の一杯と午後のサボりで喫茶店に通っていたので忘れようがない。

 喫茶店はドトールのように全部がセルフサービスではなく、女性のウエイトレスが水とお絞りと灰皿を持ってきて注文を聞いて、テーブルまで運んできてコーヒーを配りシュガーポットとミルクピッチャーと伝票を置いてきちんと礼をして戻るというものだった。今思えば一杯70円のコーヒーなのに実に丁寧な接客だった。翌年43年にハイライトが80円に値上がりし喫茶店のコーヒーも80円になった。その当時吸っていたたばこはハイライトではなかったが、現在もある銘柄ということでハイライトに注目するが、ハイライトはこの後昭和50年に120円、55年に150円、58年に170円、60年に200円とほぼ3年ごとに値上がりしていった。昭和50年頃から55年にかけては高度経済成長期だったので毎年給料が倍々になった。たばこ代もコーヒー代も10年前と比べて倍の値段になったが高くなったという実感はなかった。

 ドトールを見かけるようになったのは1980年で、ホットコーヒー一杯は150円でハイライトと同じ値段だった。プロントは1988年に営業を始めた。現在、ドトールは250円、プロントは350円、そしてハイライトは520円になっている。1980年までは同じ値段だったのにいつの間にかたばこの値段は倍になっていた。これが気になって、駅の東西にあるセルフではないいわゆる普通の喫茶店のコーヒー代を店頭のメニューで調べると480円と500だった。これならコーヒー一杯とたばこ一箱はほぼ同じ値段だと言えるのではないかと納得した。コーヒー一杯とハイライト一箱、70円と70円、半世紀以上の60年を過ぎても500円と520円、ほぼ同じ値段なのだ。

 もう少したばことコーヒーのことを書こうとしていたら、オリンピック開幕直前に「喫煙」の問題が発生した。

 

◇ たばこと酒

 パリ五輪が開幕した。コロナ禍、無観客で開催された東京大会からもう3年も過ぎたのかと、その月日の経過の速さに驚くばかりだ。3年前の夏もこんなに暑かっただろうかと思ってしまった。

 大会に出場するため海外で合宿をしていた19歳の女性の代表選手が、国内の合宿施設内で喫煙と飲酒があったという疑惑の事情聴取で急きょ呼び戻され、代表行動規範違反があったとして代表を辞退したというニュースが報じられた。在籍している大学の関係者の記者会見、選手の所属する協会の記者会見などをネットのニュースで観たが、たかがたばこと飲酒くらいで何の大騒ぎかと、少しうんざりするような気分になった。

 法律によって規制されている大麻を吸ったとか、飲酒運転で第三者に危害を与えたような交通事故を起こしたというようなものではなく、合宿場の(多分)自室で、(多分)一人で、もしかしたらトイレの中でそれこそ隠れるようにしてたばこを吸い、ビールを飲んだかもしれない。それがどうしたことか“バレて”しまって、これが社会的大問題になる前に選手を呼び戻し、脅したり説得したりして「代表辞退」を本人に納得させた、という茶番以外の何ものでもない一幕劇に見えた。

 

 選手を守れないコーチとは何だろうかと考えてしまう。選手とコーチの関係は選手が女性ならば生理日まで把握しているというくらい心身ともにひとつになって目標に向かうものだ。技術を教えることや練習の管理などは誰にでもできることであって、心に抱えた不安を共有し、精神の不安定さを軽減してやるためにコーチが存在するのだといっても過言ではない。しかも彼女はまだ大学生だ。学生に成果だけを求め心の教育をおざなりにした大学教育とは何なのだと思う。

 選手に罰を与えるだけの協会とは何なのだろう。今回の処罰の果断さは、とにかく大問題に発展する前に選手自ら自発的に「代表辞退」を申し出た形にして収めたいという目論見が透けて見えた。未成年の、未成年だったから問題でもあったのだが、女子選手に弁護する者も付けずに、弁解する余地も与えずに、事情聴取と言いながら「代表辞退」のカードを突きつけるというやり口はあまりにもあくどいような気がする。協会役員の保身以外の何物でもない。東京オリンピックの当時盛んに言われた“アスリート・ファースト”などその欠片もないし、日本選手権を制し日本代表までになった選手に対するリスペクトがまったく見られなかったことが何とも腹立たしい限りであった。

 世間を騒がせる問題が起きた時に、管理する側がまず考えるのが現体制の維持である。誰も責任を取らず、しかし世間に対しては「仕方がなかった」と思える空気を醸成することに専念する。選手に厳しい裁きを下した責任者にはなりたくないし、当事者として責任を負うことも回避したい。結果として、最も立場の弱い者に責任を押し付けることになり、選手が自ら納得して代表辞退を申し出たのだから「仕方がない」という結論に導く。これが日本のアマチュアスポーツ界がパワハラや体罰を生み出す土壌でもある。競技団体にとって守られなければならないのは協会役員か、協会の名誉か、それとも選手個人かという根源的な問題なのだ。

 

 協会の「行動規範」には禁煙と禁酒が明記されており、たとえ20歳以上の選手であっても、代表活動中の喫煙と飲酒は禁じられている。さらにナショナル・トレーニングセンター内での飲酒と喫煙だから問題とされた。

 喫煙と飲酒がまったく個人の時間に行われたものなら弁護のしようもあるが、選手として合宿に参加している時間と場所の中での行為とすると、行動規範に違反したことに間違いない。だが一方には管理責任がある。だから処罰は両者が同程度で、違反した選手一人が処罰されて済む問題ではない。

 酒とたばこ、こんなものでまだ大学生の女性の将来が潰えたとしたらこれほどの悲劇はない。未成年ゆえに決して表沙汰にしてはならないという固い決意のもと、細心の注意を払いつつ穏便に処理する大人の知恵はなかったのだろうか。

 若者を救うために大人がいる。窮地に陥って困っている若者を助けるため、そ知らぬふりをして黙って手を差し伸べるのが大人の役割だと思う。