「密室と奇蹟」 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー 創元推理文庫 20年8月初版 1320円 

 

 見開きの頁に「密室不可能犯罪の巨匠の生誕百年を祝して執筆されたトリビュート短編七作。正統派のパスティーシュから奇想に満ちた離れ業まで、多彩なバリエーションで贈る書下ろしアンソロジーの待望の文庫化」とあった。先週紹介した「密室大図鑑」で有栖川有栖は「三つの棺」について、「密室の巨匠、不可能犯罪の巨匠と呼ばれ質量ともにその分野における功績は追随を許さない。ディクスン・カーは密室の代名詞ですらあるのだ」、また、「三つの棺」を読まずして密室を語るのは「スター・ウォーズ」を観ずにSF映画を語るに等しいとまで書いている。

 生誕百周年を記念した、しかも創元社が編んだアンソロジーで、「密室」を真正面に据えた格調ある短編集、これから百年後に残すべき現代日本の最高水準の「密室」の集成、とばかり思いこんで購入したが、何とも残念な読後感だった。決して傑作選ではない。「奇蹟」などという語を軽々に使ってはいけないとさえ思ったことを正直に書いて置きたいと思う。

 この一冊には、「ジョン・ディクスン・カー氏、ギデオン・フェル博士に会う(芦部拓)」「少年バンコラン! 夜歩く犬(桜庭一樹)」「忠臣蔵の密室(田中啓文)」「鉄路に消えた断頭吏(加賀美雅之)」「ロイス殺し(小林泰三)」「幽霊トンネルの怪(鳥飼比宇)」「亡霊館の殺人(二階堂黎人)」の7編が収められている。

 

 「ジョン・ディクスン・カー氏、ギデオン・フェル博士に会う」。カーはロンドンのBBCのラジオ局のスタジオに来て、これから放送される「恐怖との契約」のリハーサルに立ち会っていた。女優 (声優)がスタジオから出て行ったきり行方不明になり放送が続けられなくなる。彼女抜きでドラマが成り立つよう、カー自らマイクの前に立ち「わが名はギデオン・フェル、いうなれば探偵じゃ」とフェル博士を演じ、さらに女優失踪の謎を解明する物語だ。

 

 「鉄路に消えた断頭吏」。[210]「本格推理⑭」の「我が友アンリ」、[212]「新・本格推理01」の「暗号名「マトリョーシュカ」」、[213]「新・本格推理02」の「「樽の木荘」の悲劇」で「アレクセイ・フェイドルフ三部作が完成させることができました」と加賀美は書いていた。さらに[220]「新・本格推理 特別編」で「聖アレキサンドラ寺院の惨劇」という続編を残している。この一編はその続編になるものだ。

 「私」は、駅でギデオン・フェル博士と会い、一緒にロンドン発リンカーン行きの夜行列車「青い流星」号に乗り込む。食堂車にハドリィ警視が現れ、特命捜査でダイヤモンド密輸の幹部のジャクリーンを追っているという。そこに刑事が、ジャクリーンが特等車の二号室で殺害されているのが発見されたと知らせに来た。二号室のドアは内側から鍵がかかり誰も出入りできない状態だった。一号室にハドリィとその腹心の部下であるエイムス刑事、二号室にジャクリーン、三号室にユダヤ教のラビが乗っていた。ドアのガラスを割って鍵を開け中に入ると首のないジャクリーンの死体があった。第一に走行中の列車、第二に扉は自動錠で、閉めると鍵がかかり外からは開けられないという特等車の構造。第三に二号車の通行用の扉は内側から掛け金が落ちていた。「あなたのあの有名な「密室講義」の中にもこのような例はなかったのではありませんか」と警視が言う。

 三号室のラビはかつらと付け髭をとるとパリ警察のアンリ・バンコランだった。アンリはジャクリーンを追ってこの列車に乗り込んでいた。そして「密室」の謎を解明する。フェル博士とバンコランの共演の物語だ。

 まずタイトルの「鉄路に消えた」の意味が分からない。鉄路ではなく列車の中で首を切り落とされて殺されたのだ。「断頭吏」の「吏」は公務員である警察官を指したのだろうか。役人には違いないが彼は刑事であり死刑執行人ではないし、また消えてもいない。切断した首を回収しなければならなかった理由も薄弱だ。

 

 「ロイス殺し」。一階は酒場、二階はホテル、ホテルと言ってもドアには鍵はかからないしベッドと小さなテーブル一つあるだけ。内開きのドアがテーブルに当たるから体を斜めにしなければ出入りできないトイレみたいな小部屋、ここでロイスという男か首吊り自殺した。主人公の口からロイスの因縁が語られる。

 十年以上探し回ってやっと見つけた男に対する復讐だとすると、こんなに簡単に殺してしまっても良いのか。これでは殺すというより自殺の手助けだ。もっと残酷なやり方だってあったはずともやもやが残った。

 

 「幽霊トンネルの怪」。ゆっくりと走るセダンのベンツの後を走っている。急に加速したのでその後を追う、突然ベンツが消える。テールランプはどこにも見えない。えっと思っているうちに後ろからヘッドライトが急接近してきた。慌てて急加速でトンネルを出ると追ってきた車が消えていた。トンネルの中という「密室」だが、トンネルで車が消えたりまた現れるのはこの方法しかない。

 

 「亡霊館の殺人」。貴族の古い館、この館の女主人であるフローラの夫のゼッタ医師に、呼んでも返事がない、一緒に来てくれと言われ、ヘンリー・メリヴェール卿の甥のホレス・ボーディングは舞踏室に行く。今夜この館で降霊会が開催されることになっていて、舞踏室で霊媒師が準備をしていた。扉には内側から鍵がかかって扉の隙間には目張りがされていた。扉の上の採光窓から覗くと椅子に座って胸にナイフが刺さっているのが見えた。室内には誰もいなかった。庭に回り窓から覗いても室内に人の姿はなかった。窓ガラスを割りゼッタ医師が中に入り、ホレスは室内に戻り鍵を開けてもらって中に入った。改めて確認すると扉と窓は内側から鍵がかかっていて、扉と窓の隙間には紙で目張りがされてあった。女主人のフローラとホレスの恋人であるウッドは二階の部屋でレモネードに仕込まれて睡眠薬で眠らされていた。ヘンリー・メリヴェール卿がこの密室の謎を解明する。

 亡霊館と呼ばれる古い貴族の館、十年前の殺人事件、降霊会、魔女発見人の短剣、目張りまでしてある密室の中の殺人、まさに規格に合致した「密室殺人事件」だ。この一編で満足してこの本を閉じることができた。