「密室大図鑑」その2 文有栖川有栖 画磯田和一    創元推理文庫 19年3月初版 840円 

 

 先週に続いて、今週は「密室大図鑑」の「国内ミステリ」を紹介したい。

 まず最初は江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」だ。有栖川は<「お茶漬け風密室」の名作>という見出しを付けて「パリのアパルトマンやロンドンの下宿屋に比べると開けっ広げで牧歌的に見えようとも、これは大正時代のわが国の現実を反映した、いわばお茶漬け風の密室なのだ。換言すれば当時の日本で密室ものを成立させるのはなかなか困難だった」と書いている。また、「乱歩作品は初めて読むのに懐かしい」という感想をよく聞く。それというのも、乱歩が紡ぐ物語が私たちの集合的意識ともいうべきものに属する「物語の苗床」に水を撒き、発芽させたものだからなのかもしれない。そのせいか、「俺こそ最大の理解者だ」とか「私ほど乱歩を愛している人間は他にはいない」という乱歩ファンには会ったことがない、というところを読んで思わず納得した。渡辺剣次が編集した「13の密室」で「火縄銃」、「続13の密室」で「何者」を読んだが、古典という古さを感じることはなく、登場人物の描写に何の違和感もなく語り口は明瞭だったし、そして何よりも面白かったことを思い出した。

 

 「蜘蛛(甲賀三郎)」と「完全犯罪(小栗虫太郎)」は「13の密室」で読んだ。殺人事件があった室内の平面図が描かれているが、「13の密室」の「完全犯罪」に挿入されている平面図と明らかに異なっている。これはどうしたことだろうか。

 「燈台鬼(大阪圭吉)」は「密室探求 その一」で読んだ。「灯台と臨海試験場」という風景スケッチを見て、灯台のある崖の下はごつごつした岩場で荒波が打ち寄せているという情景を思い描いていたが、このスケッチは少しイメージと異なっているように思えた。

 

 「本陣殺人事件(横溝正史)」。あまりにも有名な「密室」殺人事件だ。西洋の館や建物は壁や床は堅牢な石造り、しっかりと仕切られ部屋があり内側からも外側からも鍵をかけることで個人の空間というものが確立されているのが普通だ。だから「密室」が成り立つ。一方日本の家屋は襖や障子による区画があるだけで、襖には普通鍵などないしその上部には欄間という隙間さえある。畳をめくれば床板が張ってあるだけでその下は床下という地面になる。日本人の普段の生活感の中で「密室」そのものを頭の中で描けない。読み手が想像できないので、日本的な家屋で「密室」を構築するのは至難の業だ。だからどうしても抽象的観念的なものになってしまいやすい。「本陣殺人事件」が画期的だったのは、「こうすれば密室は完成する」と具体的な機械トリックを見せたことだ。まさに記念碑的な「密室」なのだ。

 

 「刺青殺人事件(高木彬光)」。有栖川は「おそらく高木こそが最も日本的な本格ミステリ作家である。横溝ミステリはわが国特有の風土や美意識に立脚していたが、その根本には英米本格のエキスがあった。高木は横溝よりずっと日本的だ。これからも世代が一回りするごとに「こんなに面白い本格があったなんて」と若いファンを狂喜させ続けるに違いない」と書いている。鍵のかかった浴室を開けてみると、その中にあったのは、切断刺されて間もない女の首と二本の腕と二本の脚、刺青の入った胴体だけがなくなっていた。水道の栓が開かれていて浴槽からあふれ出した水が床を洗っていた。密室を構成しがたい日本家屋の中で唯一内側から施錠ができる独立した部屋として浴室を「密室」にした不朽の名作だ。

 

 「高天原の犯罪(天城一)」。有栖川は「ストイックに過剰なまでに短い傑作」、「他の追従を許さない孤高の人の孤高の一編だ。掛け値なしの傑作である」と書いている。「密室殺人傑作選」で読んだ。二階で殺人があった。一階と二階に通じる唯一の階段の下には歩哨が立っていた。犯人はどうやって歩哨の目につかないように一階と二階を往復できたのか。日本人でなければ創りだせない「見えざる人」の問題だ。

 

 「赤い密室(鮎川哲也)」は「13の密室」で読んだ。法医学教室の見取り図に、外側の「入り口(親子扉)」「鍵や閂はしつかり施錠してあった」、解剖室の「ドア」はダイヤルロック錠、窓には「鉄柵」、「この真上の天井に小さな換気口」という書き込みがあった。読みながら思い描いたとおりの見取り図だった。

 

 「求婚の密室(笹沢佐保)」。西沢教授の死体は庭にあるトーチカのような地下貯蔵庫で発見された。妻の若子がその上に覆いかぶさるようにして死んでいた。死因はヒ素の中毒死。近くに毒入りの瓶が転がっていた。現場の頑丈な鉄扉には内側から南京錠が掛かっていて、ひとつしかないその鍵は室内の排水用の土管の中に落ちていた。唯一の開口部である採光用の天窓は床から四メートルの高さ、そのような状況から自殺とみられた。

 「肝心のトリックの出来については申し分ない。思いがけないものが思いがけない意味を持っていたことを、読者は最後に知る。これまで見たことも聞いたこともない独創的トリック、というよりは、どうしてこの手があると気が付かなかったのだと密室ファンに歯噛みさせるようなテクニカルなトリックだ」。有栖川にこうまで書かれたら読まないわけにはいかないと思った。

 

 「人狼城の恐怖(二階堂黎人)」。何者かに殴打され昏倒していた夫人が寝室に運ばれる。命に別状はなかったので手当をすませた医師たちが廊下に出てすぐ室内から断末魔の悲鳴が聞こえた。医師らが慌てて部屋に入ってみると、夫人は首を引きちぎられて死んでいた。頭部は窓の手前に投げ出されたまま転がっていた。分厚い石で囲まれた狭い部屋から犯人の姿も凶器も消えている。犯人はベッドの下にも戸棚の中にも隠れてはいなく、暖炉では火が燃えていたという「密室殺人」だ。この「人狼城の恐怖」は原稿用紙四千枚の大著で、完結編、すなわち探偵による謎解きだけでも千枚、と書いてあった。高い石の壁に絶望するようにこの本の厚さに絶望してしまう。

 

 最後に、藤田が有栖川の「密室」の中から選んだ「スウェーデン館の謎」が41番目として紹介されている。このような素晴らしい一冊を残してくれた磯田画伯にこころからの感謝と敬意を表したい。