番付崩壊

 

◇ 浮かれるのも良いが、これは危機だ

 大相撲夏場所が終わった。前の大阪場所で“史上110年ぶり”という大記録で優勝した尊富士に続いて、夏場所もまた幕内3場所目の、まだ大銀杏も結えないちょんまげ姿の新小結・大の里が初優勝した。若い新しいスターの登場は本来なら喜ぶべきことではあるがそうとばかりは言っていられない。番付の高位に名前がありながら調整に間に合わず初日から休場したり、負けが込んで途中休場する力士があまりに多かった。だからといって、調整不足や故障が未回復のまま土俵に上がりコロコロ敗けるのを見るのも嫌だし、それでは番付の価値が無くなってしまう。上位陣の不調、だから新鋭が活躍するという見方もできるが、しかしそれでは新鋭の勝星が実力通りなのかという真価も測りかねてしまう。

 夏場所は、一横綱四大関二関脇二小結の三役力士9人で初日を迎えたが、横綱大関小結の5人が休場と途中休場、結局千秋楽まで土俵に上がった三役力士は5人だけだった。大関が最後まで優勝争いに残ったといっても4敗もしては、とても「惜しくも優勝を逃した」とは言えない。何よりも、先場所優勝した新鋭がその優勝と引き換えたような怪我で休場したことも何とも残念なことであった。商品ケースには商品名と値段の名札は立っているが商品がないという状態だった。役力士にはその自覚が必要だし、理事長や協会役員はもとより部屋を預かる親方衆も危機感を持たなくてはならないと思う。

 今場所こそ天皇皇后両陛下のご臨席をと願ったが、横綱の土俵入りはない、大関はコロコロ敗ける、おまけにちょんまげの新鋭が大活躍では、結果として天覧がなくて良かったと思ったものだった。

 

 先場所優勝した尊富士は大学時代の実績がなく前相撲からスタートした。令和4年9月場所前相撲、4年11月場所序の口(7-0優勝)、令和5年1月場所二段目(7-0優勝)、3月場所三段目(6-1)、5月場所幕下(6-1)、7月場所幕下(6-1)、9月場所幕下(5-2)、11月場所幕下(6-1)、令和6年1月場所十両(13-2優勝)、6年3月場所13勝2敗で幕内最高優勝に輝いた。初土俵から所要10場所目という史上最速の優勝であった。

 学生横綱と二度のアマチュア横綱の実績を手に各界入りした大の里は、ちょうど1年前の夏場所、幕下10枚目格付け出しでデビューした。令和5年5月場所、幕下付け出し10枚目(6-1)、7月場所幕下3枚目(4-3)、9月場所十両14枚目(12-3)、11月場所十両5枚目(12-3)、今年の初場所に新入幕、前頭15枚目(11-4)、春場所前頭5枚目(11-4)、そして新小結で迎えた夏場所を12勝3敗で初優勝した。初土俵から所要7場所での優勝は先場所の尊富士の10場所を上回った。新入幕から三場所合計34勝という特筆すべき成績であった。

 

◇ 番 付

 大相撲は誰が見ても分かりやすい勝ち負けの結果によって順位付けられた「番付」というものがある。相撲社会は厳然とした縦社会であって、番付がすべての基本となっている。 昔から「番付が一枚違えば家来も同然、一段違えば虫けら同然」という言葉があり、力士たちは本場所で1勝するために、一枚上がるために死に物狂いの稽古を積み重ねている。

大相撲は番付が全てであり、番付は相撲界の秩序を現すものだ。番付のピラミッドが相撲社会を構成している。番付上位の者が勝つのが当たり前で、時おり下位の者が勝つことがあったりするから「番狂合わせ」と呼ばれる。番狂合わせが何番も続くならもう番狂合わせではなくなり。番付が意味するものもなくなることなる。たまたま調子の良いものが勝ったり、それで優勝することもある。それが勝負事でありそれも相撲の魅力の一つである。だが、二場所も続けてまだ大銀杏も結えないような新人が最高優勝するというのは異常事態だ。これは番付の権威というものが否定されるということでピラミッド社会が崩れ始める予兆でもある。今まさに秩序が崩壊しようとしている。一人あるいは二人の児童生徒によって教室の秩序が保たれなくなった状態を「学級崩壊」と言うが、大相撲はまさに「番付崩壊」が起ころうとしている。まったく困った状態にあるのだ。

 15日間のチケット完売だとか新しいスターの誕生などと喜んでいる場合ではない。番付が意味をなさない危機的状況にあるという認識のもと、横綱や役力士たちばかりではなく、相撲協会に関わる全ての人たちのさらなる奮起を願うよりほかはない。

 

◇ 三年先の稽古

 親方は弟子たちに「三年先の稽古」を厳しく言う。それは今も変わらず、明日の一勝とか今場所の勝ち越しとかではなく、三年先に勝てるように今朝の稽古に励めと指導している。尊富士も大の里も三年前は大学の学生さんだった。今の横綱大関の三年前はもちろんプロのお関取で、毎朝「三年先」の稽古に励んできたはずだ。その結果と見れば、何の稽古をしてきたのか、とつい口に出てしまい、それを飲み込む情けなさがある。

 こんなに上の者がコロコロと敗けるなら白鳳を現役復帰させろ、白鳳なら今でも10番くらいなら勝てる、と知り合いのおじさんは強い口調で言っていた。

 秩序があり、安定と調和も大相撲の欠かせない魅力なのだ。