「THE 密室」 実業の日本社文庫 16年10月初版 669円  

 「密室」はミステリーの永遠のテーマである。タイトルに“THE”と冠した密室のアンソロジーで編者は山前譲だが、実業の日本社文庫という今まであまり目にしたことのない出版社の文庫だ。
 この一冊には、「犯罪の場(飛鳥高)」「白い密室(鮎川哲也)」「球形の楽園(泡坂妻夫)」「不透明な密室 Invisible Man(折原一)」「梨の花(陳舜臣)」「降霊術(山村正夫)」「ストリーカーが死んだ(山村美紗)」の7編が収められている。解説は「密室の扉はいつ開けられる」という題で山前譲が書いている。

 「犯罪の場」。昭和21年に「宝石」の懸賞小説に入選した作品だ。大学の土木工学科の実験施設で実験中の院生が殺害されるという事件が起きた。教授と助手は二階の部屋に居て、一階には4人の学生がいた。声を聞いて教授が駆け付けると床に頭部を打撃されて被害者が倒れて、その近くに窓を上げ下げする時に使う鉄の棒が転がっていた。この実験室には外部の誰も入ることができないし、実験を始めた学生たちもそれぞれ一人きりになる時間は無かった。戦争が色濃く影を落としている。
 敗戦が若者たちの誇りを傷つけた。自分たちが劣等な人種であることを認めるくらいなら死滅した方が良いと考えるようになり、さらに将来への漠然とした不安がこの密室殺人事件の背景にある。 最後に博士が「判断の誤りです。敗戦もその結果なのです」と述懐するが、当時のインテリたちに共通した思いなのだろうと思った。

 「白い密室」。鍵のかかった密室ではない。雪の上についた足跡が出入り不可能な密室にしている。西大久保にある座間教授の家を佐藤キミ子が訪ねる。ブザーを押してしばらくして中から男が現れ、先生が殺されたようなんですと言う。書斎で共和女子医大の座間教授が背中から血を流して倒れていた。警察が駆け付け家の周りを調べ庭から血の付いたコートと凶器とみられるナイフを発見した。峯という出版社の編集長は佐藤さんが来る三分前に家に着いて死体を発見したという。雪が止んだ後だったので、門から玄関まで峯と佐藤さんの足跡しかなかった。事件を担当した田所警部は星影龍三に相談、彫りの深い端麗な顔の貿易商はコールマン髭を撫でながら警部の説明を聞いて調査を開始する。後日、警部に、峯君は足を怪我していなかったか、事件のあった夜、現場付近で犬か猫を焼いたような異臭がしたという通報はなかったかという質問をしてこの密室殺人事件の謎を解く。鮮やかな雪の密室の解決だった。

 「球形の楽園」。土地の人間からさそりの殿様と呼ばれる大富豪の四谷乱筆が、蠍山の山腹に固い岩盤をえぐりぬいて奥深い洞穴を作りコンクリートで固め、自分の余生を安全に保つために、防空壕のような緊急避難所を建設していた。そこに格納する球形のカプセルの中に、この大富豪が逃げ込むように入ったきり出てこないと作業員たちが騒いでいる工事現場に亜愛一郎と昆虫学者が現れた。トラックやショベルカー、クレーン車などがある中に球形のカプセルがあった。カプセルはまだ内装もされてなく、長方形の扉が一つあるだけだった。爆薬でこの扉を壊し中に入ると、大富豪はその中で既に死亡していた。警察の調査では前頭部に打撲傷があり背中にも突き傷があって他殺の疑いがあったが何もない丸い室内には凶器などなかった。名探偵亜愛一郎がこの密室の謎を鮮やかに解明する。

 「不透明な密室 Invisible Man」は[221]「密室殺人事件(H6.2)」で前に読んだものだった。新興の右翼系の建設業者の社長が会社の執務室の中で胸をナイフで刺されて死んでいるのが発見された。窓越しに社長が血を流して倒れているのを発見した社員が警察に通報した。サッシ窓は内側から錠が落ちていて、ただひとつの出入り口のドアには内側から鍵とチェーンがかかっていた。社屋の前の庭には10人ほどの社員がいてこの社員たちの多くが、正午の少し前に社長に恨みを抱く細田建設の社長の姿を目撃していた。
社長は柔道の有段者で頑丈な体つきをしていて、反対に細田は貧弱な小男だ。門から社長室のテラスまでの30メートルの距離を誰にも気付かれずに接近できるのか、小さい細田が大きな体の社長を刺殺できるのか、そして刺した後、テラスから門まで逃げられるのかという疑問があった。社員たちの衆人環視の中、しかも社長が刺されて死んだ部屋も密室、二重の密室殺人事件だ。
 細田の趣味は高校野球、甲子園が始まるといつもイャホンでラジオの実況中継を聴いていた。その日は8月15日、正午近く、というのがこの事件を解決するヒントだ。

 「梨の花」。若い研究者が遅くなったので研究室の簡易ベッドの上で寝ようとしていた時、突然目くらましのような光を浴びて何も見えなくなり、背中を刺され重傷を負うという事件が起きた。研究室なのでドアは一つ、寝る前に鍵を掛けた。明り取りの窓が一つあるが格子が嵌っているという密室の中での出来事だ。梨花槍というのは明の軍隊が倭寇に用いた新兵器だ。この説明を書くとネタばらしになってしまう。

 「降霊術」は[239]「凶器の蒐集家(96.3)」で前に読んだものだ。資産家の陶芸家が遺産相続の問題を霊媒に頼り降霊会を行った。降霊会に立ち会った弁護士は約束した10時に電話をすると呻き声が聞こえたので陶芸家の屋敷に向かう。家政婦に聞くと降霊会の後は土蔵に入ったきりだという。土蔵は昔からの蔵を改造して、暖炉のある洋間とその奥は板敷の仕事場になっていた。扉は二重になっていて二つの扉それぞれに内側から鍵が掛けられていた。出入りの職人を呼んで土蔵の壁を壊し中に入ると陶芸家は胸を刺され洋間の暖炉の近くで倒れていた。死因は鋭利な刃物で刺されたものと見られたが室内に凶器はなかった。上の方に鉄格子のはまった小窓があるだけという典型的な密室殺人だ。

 「ストリーカーが死んだ」。ストーカーではない。ストリーキングといって街中を裸で疾走するということが世界中で流行したことがあった。勇気を試すとか決断や決意を他人に見せるためとか、流行と言っても一瞬のことだった。著者には珍しく舞台は東京の世田谷区、小田急線成城学園前近くの道路で出勤途中の成城警察の刑事が若い女性のストリーカーを見つけ後を追った。突然路上に倒れ「電話ボックス」というのか最後の言葉で、指で前方を示すような恰好をした。口の中から青酸カリ特有の匂いがした。死んだのは20歳の女子大生で近くのマンションに一人で住んでいた。この事件が起こる前にこの娘の父親と婚約者が娘と電話で話していて、二人はマンションのエントランスで娘が出て来るのを待ち構えていたが、娘は出てこなかったという。
 なぜストリーキングをやったか。二人の監視しているマンションからどうやって抜け出したのか。どこで青酸カリを飲んだのか、その謎が解かれる。