「密室殺人傑作選」 その4 H.S.サンテッスン編     ハヤカワミステリ文庫 03年4月初版 987円 

 

 今週はその4として、「たばこの煙の充満する部屋(アンソニィ・バウチャー)」「海児魂(ジョゼフ・カミングス)」「北イタリア物語(トマス・フラナガン)」の3編を紹介する。これで「密室殺人傑作選」全14編を紹介することができた。

 

 「たばこの煙の充満する部屋」。党委員会の終わったホテルの会議室はたばこの煙が充満していた。カリフォルニア州知事のスティーブがバスルームで血まみれになって倒れているのが発見された。鋭利な刃物で喉が切られていた。向かいの部屋を掃除していたメイドは、部屋に入った者はいないと証言した。室内から凶器が発見できなかった。窓はきっちりと閉まっていて凶器を隠す場所がなく、バスルームの排水溝も確認したがどこからも発見できなかった。彼は大物として死にたかったから、と長い間一緒に政治活動してきた女性秘書が証言する。

 「心が大きすぎてのみこめないかたまりみたいになって胸につかえるのだ」、声に出して読んでみたが何を言いたいのかさっばり分からなかった。文字は目から入り脳まで届く。脳は網膜に映った文字を形として認識しようとするのでそれに違和感がなければ次の文字を追うように意識を促す。声を出して読むと、脳は文章として理解しようとするので句読点も重要になってくる。改めて言うまでもないことだが、声に出してすんなりと読めるのは良い文章で、読みにくくつかえてしまうようなものは悪い文章だ。文字列で認識するか文章として理解するか、それは脳の問題なのだ。外国のミステリーアンソロジーを何冊も読んできて、やはり最終的に「翻訳」の問題に突き当たる。言葉の選択は原作の作家の個性なのか訳者の日本語の語彙の問題なのか、それを言い出すと「原典」にまで遡らなくてはならなくなる。別に学問として学んでいるのでなくエンターテインメントとして愉しんでいるのだから思い、その深みには近寄らないように心掛けて来た。

 

 「海児魂」。海の中の密室の物語だ。場所はマサチューセッツ海岸の沖、ペッパー船長が危険な海域である岩礁のある場所を横切っていたとき、濃霧の中から突然エンジン付きの大きな快速ヨット、ヨナ号が現れ岩礁に突っ込んで行ってあっという間に沈没してしまった。港に戻ってヨナ号沈没を知らせた。ヨットの持ち主カーウインが潜水服をつけて海に潜る。大きな泡が浮いてきたので引き上げると、胸に開いた裂け口から水があふれだしていた。溺れて死んだのではなく潜水服の前側から魚を割くときに使う細い包丁が刺さっているのが見えた。

 海の中で誰かに刺し殺されたということはあり得ないことだ、救助に来た船の全員が海を見ていた。カーウインのほかに海に入った者も出てきた者いない。改めてペッパー船長が海に潜る。沈んだ船室で発見したカーウイン夫人の胸に刺し傷があった。妻も溺れて死んだのではなかった。解剖の結果ヨナ号の乗組員四人は全員溺死、カーウイン夫人はヨナ号が沈む前に死んでいたことが分かった。この海中の密室の謎をペッパー船長が解決する。村のオールドミスの家の浴室から髪を染める薬品が盗まれたという小さな出来事がこの謎を解くヒントになった。

 

 「北イタリア物語」。著者のトマス・フラナガンは、「エラリー・クイーンズ・ミステリマガジン (EQMM)」に掲載された七編しか残していない人、という紹介があった。

 15世紀の北部イタリアの古いモンターニョ城が舞台だ。フランス王の後援を必要としていた中原の獅子チュザーレ・ボルジァは、ボルジア家の家宝というべき名玉をフランス王に献上することを決め、大公の使臣が宝物を運び城主に渡した。数日後、城主はその宝物が盗まれたと言って使臣を地下の宝物室に案内する。小窓が開いているがその下は垂直な崖になっていて登ることも降りることもできない、扉の前には衛兵二人を張り付けていたが一人が殺され一人はケガを負って倒れていた。城主は、城の中を探させたがどこからも出てこない、衛兵が組んで宝物を窓から崖下に降ろし、その後二人の間で争いが起き一人が殺され一人が傷ついたと判断した。そこでフランス王の大使と大公の使臣の前で生き残った衛兵を尋問することになった。生き残った衛兵はおしで言葉を話せない。そこで絵を描いて見せて、犯人を探ろうと考えたと城主が説明する。最初に城の兵士の姿を描いた絵を見せ、もし首を縦に降れば一人残らず縛り首にすると言う。衛兵は首横に振る。フランス大使の従者の姿を描いた絵を見せる。もし首を縦に振れば我らはフランス国と戦わなければならなくなると言う。衛兵は首を横に振る。第三の絵、険しい山肌に沿って宝物の入った袋を垂らしている絵を見せながら、もしこれが正しければお前に自由が与えられるだろうと言う。衛兵は首を縦に振ってうなずく。盗難事件はこうして解決した。

 大公の使臣の「わが敬愛するチェザーレ・ボルジァ陛下」という書き出しの「報告書」には、絵による尋問という巧妙な思いつきには驚嘆せざるを得ません。尋問を受けた衛兵は聾者ではなかった。自分が自由の身になるというということだけで頷いてしまったのです。城主の策略にはまってしまい宝物は彼の物になってしまいました。実は衛兵は盲目だったのです、と書いて「陛下の忠実なる臣 ニッコロ・マキャヴェリ」と結んであった。チュザーレ・ボルジァに仕えた「猫背に痩せた肩、高い頬骨に貧相な顎」の文官となるとこの人しかいないと思った。

 塩野七生さんの「わが友マキアヴェッリ」と「マキャベリ語録」を読んだのは何年前のことだろうか。押し入れの中を探せばきっとどこかにあるはずだが、思いは立つが体が動かないので困っている。