平時の今だからこそ憲法改正を急ぐべきだ

 

◇ 「日曜討論」の発言

 GWに入った日曜日の朝、消し忘れたままのテレビでNHKの「日曜討論」が始まっていた。「憲法改正」がテーマになっていて、これから何かをする用もないのでテレビの前に座りなおした。

 出席者のまったく呑気としか言いようのない、著しく当事者能力に欠けた、まるで評論家のようなお説ばかりで、聞いていてただ呆れるしかなかった。出席した各党の代表者の「憲法改正」に関わる発言を書き出してみる。

 野党A氏「裏金議員が憲法を議論する正当性があるのか。憲法は国会議員や公務員などを縛る法規であり、憲法に縛られる側の人間が法律を犯しているかもしれないなか、声高に憲法改正を叫ぶことは異常な姿だ。緊急事態に名を借りて、国会議員の任期を延長させる議論は順番が逆だ。災害に強い選挙や参議院の緊急集会の役割を充実させる議論を尽くす必要がある」。

 野党B氏「戦争をする国づくりを何としても止めたい。集団的自衛権の行使容認や軍事費2倍などは、歴代自民党政権が憲法9条があるからできないと言っていたものばかりだ。いったいどこまで憲法を踏みにじるのか。求められているのは裏金事件の全容解明で、法律を守れない議員に改憲を語る資格はない」。

 野党C氏「能登半島地震では、がれきの撤去が進まず憲法25条が規定する最低限度の生活が保障されていない。被災地を放置しながら、災害のために憲法を改正し緊急事態条項を入れるのは茶番だ」。

 野党D氏「自民党政権は特定秘密保護法や安全保障関連の3文書などで憲法破壊をくり返してきた。法律をやぶる裏金議員に憲法を変える資格はなく、憲法改正よりも憲法を生かすべきだ」。

 この野党議員たちに決定的に欠けているのは、憲法改正の議論は広く全国民が行うべきものであるという視点だ。議論に国民を参加させないというのは特権意識以外の何物でもない。だから、法律を犯している議員に憲法改正を口にする資格はないという暴論になる。仮に、犯罪者には憲法改正の議論に加わる資格がないというのか。

 日本国国民である他に、憲法改正の議論に加わる別の資格が必要なのか?

 

◇ 私権を守るために必要なのだ

 中国が三隻目となる航空母艦の試験航海を始めたというニュースがあったばかりで、台湾に対して無言の圧力をかけようとしている。ロシアは、核戦力は常に臨戦態勢にあることを隠さず、北朝鮮は相変わらずミサイル開発を加速させている。力による現状変更を目論む国がすぐそこにあることを忘れてはならない。

 コロナ禍によるパンデミックが収まり社会生活はまた元に戻ったかのように見えるが、いつまた同じようなことが起こるか分からない。今度は戒厳令に準じるような行動規制を強いられないとも限らない。また能登半島で地震も起きた。災害復旧の本部機能がマヒしたら半島の先端まで救済の手が届かないということを目の当たりにしている。この21世紀の日本国で震災から4か月も経って未だに断水している、蛇口から水が出てこない、水洗便所が使えない集落があるということが信じられることだろうか。だがこれは現実のことなのだ。

大規模災害などの緊急時に国会機能を維持するための憲法改正は待ったなしであり、いざというときに備えて緊急事態条項を整備することは国民の生命と財産、わが国の領土と主権を守るために不可欠なことだ。

 威圧によって現状を変えようと企む国が隣にある。大規模自然災害で都市機能がマヒすることはあり得る事態だ。さらに大規模なパンデミックで行政が機能しなくなることがあるかもしれない。その際に、私権が限定的に、あるいは著しく制限されるような事態がまた起こるかもしれない。だから「私権」を守るために「憲法を整備せよ」と言っているのだ。われらは既にそういう事態を経験してきている。だからこそ万が一に備えた法整備が必要なのだ。

 

 討論の中で、野党第一党の代表の「(憲法改正を発議することについて)今はまだその時期ではない」という発言があった。思わずTV画面に向かって怒鳴りつけた。今はまだその時期ではないと言う、ではそれはいつなのか。首都直下地震が起きた後なのか、パンデミックのため首都に戒厳令が敷かれた後なのか、中国海軍のミサイルが石垣島に撃ち込まれた後なのか? 大混乱の中で決められた法律が専制に直結してしまうという懸念はないのか。「万が一」は起こらないことを前提にしているが一万回に一回は起こるものなのだ。平時だからこそ議論を加速させるべきなのだ。野党の連中の言っていることは泥棒を捕まえてから縄を綯えと言っているのと同じだ。こんな間抜けたちに、われらの何を委任できるだろうか。

 「憲法」は政権の暴走を抑止するためにあるなどという、法学的なそもそも論など何の役にたつだろうか。「私権」を「この俺の権利を守ってくれる」ものとしての「憲法改正」を求めているのだ。緊急事態にどう対応していくか、いかなる緊急事態が起きても権力者の独裁による暴走を防ぎ行政を機能させ、国民の権利を守るために憲法は見直されなければならない。

 

 4月に開催された連合系のメーデーと5月に開催された共産党系のメーデーで、立憲民主党の代表と共産党の代表が「法を犯している裏金議員たちに憲法改正の議論は許さない」とまったく同じようなことを言っていることにびっくりした。まさに立憲共産党、主張が同じだ。この後に「集会のあと参加者たちは横断幕やプラカードを掲げながら会場の周辺を行進し“武力で平和は作れない”とか“憲法を暮らしに活かそう”と声を上げました」というニュースが続いて流された。

 たしかに武力で平和は作れないが、守る武力がなければ相手側の武力の行使で私や私の子や孫がむざむざと殺されるかもしれない。ウクライナでもガザでも市民が虐殺されている。日本には平和憲法があるから平和が保たれている、本当にそう信じているのなら、なぜウクライナの市民にガザの市民に「平和憲法を作れば良い」と教えてやろうとしないのか。

 お前たちが殺されても一向に構わないが、俺が悲しい思いをするのは嫌だ。憲法を暮らしに生かそうなどという念仏を好きなだけ唱えてろ、万が一の時、お前たちのことは決して助けない、勝手に死ね。