「下山事件」を読む

 

 今、「下山事件」について文庫で読むことができるのは、「謀殺 下山事件(講談社文庫 矢田喜美雄)」「下山事件 <シモヤマケース>(新潮文庫 森達也)」「葬られた夏(朝日文庫 諸永裕司)」「最後の証言(祥伝社文庫 柴田哲孝)」と「下山事件 暗殺者たちの夏(祥伝社文庫 柴田哲孝)」の5冊ある。いずれも(何者かの)陰謀によって下山総裁が殺害されたという点で共通している。順番にその内容を紹介したい。「暗殺者たちの夏」は著者自らフィクションであるとしているのでここでは取り上げなかった。

 

◇ 森 達也著 新潮文庫「下山事件 <シモヤマケース>(18年11月)」

 森達也はオウム真理教を描いたドキュメンタリー映画「A(98)」、続編「A2(01)」を制作した映画作家で、関東大震災当時の朝鮮人虐殺を描いた「福田村事件」の監督である。映像作品の他にオウム真理教に関する著作があり、他に「死刑」についても明確な意見を持っている人だ。この人の仕事はずっと見て来た。

 ワシントンの国立公文書館に保管されている「下山事件」に関する資料には、<シモヤマケース>と表記されたファイルや、文中に<シモヤマケース>という文字が頻繁に出ているということが紹介され、「“シモヤマケース”は直訳すれば“下山殺人事件”だ。日本における公式見解は自殺だが、アメリカでは殺人事件とみなされている」というところが著者の出発点である。

 他殺説を追いかけた刑事の証言がこの事件の<謎>を具体的に表している。「轢断された遺体には合計380箇所の傷があったが生活反応はほとんと認められなかった。つまり轢かれた時はすでに死んでいたのではないか。次に血痕の問題。現場に残された血の量が極端に少ないことと、轢断地点から列車の進行方向とは逆方向のレール沿いに、血の跡が200メートルにわたって点々と線路わきのロープ小屋まで続いていたことだ。メガネとライター、そしてネクタイピンがついに発見できなかったこと。轢断された靴に塗られた靴クリームが普段使用していたものと違っていたこと。靴ひもの結び方がいつもの結び方ではなかったこと。遺留品の衣類から大量に検出された油が着ていた上着からはほとんと検出されなかったこと。靴下も油まみれだったのにその靴を履かなかったかのように内側にはまったく油がなかった」。「その日の午後、総裁が休憩するために立ち寄ったとされる末広旅館というのはいわゆる連れ込み旅館だ。駅の改札口を出ると目の前に旅館が2軒もあったのに、いかに錯乱していようと国鉄総裁がこんな所を利用するはずはない」。さらにヘビースモーカーの総裁がこの旅館にいた3時間の間、一本もタバコ吸っていないことはどう考えてもおかしい。つまり「拉致監禁されていたのではなく、死に場所を探してふらふらしていた」と自殺説を補強するために総裁に良く似た人物を配した、だから自殺ではあり得ない。森はこの証言にあるひとつひとつを「他殺説」の根拠としている。

 

◇ 諸永裕司著 朝日文庫「葬られた夏 追跡下山事件(18年7月)」

 森と共同執筆という形で「下山事件 五十年後の真相」と題した連載を「週刊朝日(99年8月)」に発表した。「連載が終わっても,僕はあきらめきれなかった」というところから、当時は週刊朝日の記者だった著者の「下山事件にとり憑かれた者」の旅が始まる。

 冒頭に、「五反野の轢断現場、戦後の闇はここから始まった」というタイトルで、線路わきの草の上に棺が置かれている現場の写真。次の頁には総裁の遺留品の写真の他に、「油が染み込んだズボン」、「ネクタイをしていれば着くはずのない襟の裏側から色素が検出された」「ロープ小屋の扉にも血痕が残されていた」という説明のついた写真6枚が掲載されている。また、当時の日本橋室町にあったライカビルの数枚の写真、総裁が休んだとされる末広旅館の写真などが本文のなかに挿入されていた。

 「自他殺説のどちらとも結論がでないという、この状況こそが本当の狙いだったのではないか。言い方を変えれば、何者かが自他殺どちらにも見えるように細工したのではないか」、「つまり、自殺かもしれず、他殺かもしれない。他殺だとしても犯人はわからない。共産勢力が殺害に関与したのではないかという疑念を膨らませたままうやむやにする、それが最も政治的効果が高かった。事件を起こしたのは共産勢力の弱体化を狙う何者か。そして、自他殺不明となるように自殺説へ導くための布石を打ったのではないか」。という結論だった。

 参考文献・資料一覧が10頁も付いて、とても参考になるものだった。さすが「朝日」の仕事と感心した。

 

◇ 柴田哲孝著 祥伝社文庫「下山事件・最後の証言(19年7月)」   

 タイトルの頭に「完全版」と冠のあるまさに渾身の一冊だ。森達也の「下山事件」のプロローグは、「1994年の春、僕は初めて「彼」に会った。それがすべての発端だ」という書き出しで始まる。「葬られた夏」の序章は、「それは「彼」が話してくれた、こんな話だった」というところから始まる。「彼」はこの本の著者柴田哲孝である。「祖父の妹にあたる大叔母がふいに「彼」に向かって、“そういえば、おまえのおじいさん、下山事件に関係していたんだよ”と話した」。その「彼」が柴田だ。柴田の「以下に書くことは、私が知り得る限りの、我が血族と下山事件に関する真実である」という書き出しで始まる。

  「昭和18年頃撮影の亜細亜産業の集合写真」という説明が付いた、矢板玄、工藤孝次郎、祖父母の柴田宏、柴田寿恵子らの集合写真が第一頁にあり、次の頁に「亜細亜産業の社員旅行か」という説明が付いた集合写真、著者の母親柴田菱子、矢板玄、白洲次郎かと思われる人物、祖父の柴田宏、キャノン機関のヘンリー大西、ガーゲット機関の土山善雄と思われる人物、キャノン機関のビクター松井らが写っている写真が掲載されている。矢板玄、白州次郎、ヘンリー大西、土山善雄、ビクター松井、戦後のGHQが関係したと思われる謀略事件の主役級が揃っている集合写真だ。とにかく、凄い写真なのだ。

 

 大叔父の飯島はこう語る。「国鉄の外部発注の予算からリベートが流れていた。下山はその実態を知り人員整理を最小限に食い止めるための切り札に使おうとした。「汚職の番人」としてGHQから送りこまれたその下山をGHQが殺すはずがない。共産党を黙らせるためなら松川事件と三鷹事件で十分だ。わざわざ総裁を殺す危険性を冒す必要は無い」。この中で飯島は、殺害現場にいた二人の実名、キャノン機関のМという二世の将校と一人の日本人の名をあげるのだ。

  「私はいま、細かいディテールの部分は別として、ほぼその全容を解明できたと確信している」。「事件の背後には3つの流れがあった。莫大な国鉄利権を守ろうとするもの、事件を反共に利用しようとするもの、大局を見つめすべてを操ろうとする者、三者の利害関係が一致した、たまたま三つの流れの合流点に下山定則という男が存在した」と著者なりの結論に達し、「犯人はX某、以後も公表することはないだろう」とこの本を結んでいる。

 とにかく、下手なミステリーを読むよりよほど興奮する三冊であることに間違いない。