「密室殺人大百科 (上) 」(その2)二階堂黎人編     講談社文庫 03年9月 1099円

 

 先週に引き続き、「密室大百科」上巻の後半、「閉じた空(鯨統一郎)」「五匹の猫(谺健二)」「正太郎と田舎の事件(柴田よしき)」「泥具根博士の悪夢(二階堂黎人)」の4編と「マーキュリーの靴(鮎川哲也)」と「デヴィルフィッシュの罠(ジョン・ディクスン・カー)」を紹介したい。

 

 「閉じた空」は著者には珍しい本格物で、こんな作品も書けるのかと正直驚いた。仕掛けの部分に少し引っかかるところがあったが気にしなければ流してしまえるほどのものだった。

 「解説」に、「本作は朔太郎の「地面の底の病気の顔」という詩の誕生秘話になっている」とあり、語り手は「杏っ子」の作者」とあったので室生犀星ということが分かった。「昨年一月に「新青年」の増刊号に掲載された「D坂の殺人事件」に登場する探偵のように、不可思議な謎を解く才能に朔太郎は恵まれているのだ」という設定で、詩人萩原朔太郎を探偵にした本格ミステリーの一編だ。

 大正三年に起きた世にも奇怪なる殺人事件は、秋晴れの日に開催された気球の搭乗会から始まる。小石川で誰でも50銭の木戸銭を払えば気球に乗ることができる気球搭乗会という新商売が今日から始まった。気球は直径二丈(6メートル)高さ三丈(9メートル)、繋留式で水素ガスによって地上30間(54メートル)の高さまで上がる。語り手である犀星と朔太郎がこの会場に来ていた。若くして莫大な資産を築きこの商売を企画した津田という青年実業家が最初に気球に試乗する。上空でピストルの音、気球を下ろすと籠の中でこの青年実業家が右手にピストルを握ったまま俯せに倒れていた。この男には婚約者がいてわざわざ空の上で自殺する理由は無かった。この事件を朔太郎が見事に解決する。

 空中の密室殺人となると、[287]「密室探求 第一集」で紹介した「右腕山上空(泡坂妻夫)」しか思い浮かばない。

 

 「五匹の猫」。主人公は有希真一という私立探偵。阪神淡路大震災に被災して小さな児童公園でテント生活をしている。その児童公園のブランコの下で女性の刺殺死体が発見された。雨が降った後で公園の入り口からブランコまで行った足跡が残っていて、死体の周囲には五匹の猫の死体が置かれてあった。凶器は発見できなかったが警察は自殺と判断した。これまで何度も警察の捜査に協力してきた雪御所圭子という占い師が犯人を告発する。

 「証拠なんて要るものですか。あなたがやったのよ。あたしにはわかる」と言う圭子、占い師が推理を否定している。占いで犯人を割り出し証拠も不要だと言うこの一言がどうにも呑み込めなかった。

 

 「正太郎と田舎の事件」。推理作家の家の軒下で生まれて推理作家に育てられ、別な推理作家に貰われた正太郎という猫が語り手だ。同居人は桜川ひとみというミステリー作家だ。正太郎シリーズは今までに何編か読んでいる。「今時のミステリで田舎の蔵の密室などベタなネタはウケません」と編集者から指摘を受けたそうだが、旧家の蔵の中という完全な密室の中で起きた密室殺人が破綻なくきちんとまとめられてあった。

 

 「泥具根博士の悪夢」。超常現象の研究家として信奉者の間では非常に有名であった泥具根博士が、自分が建てた四重の壁の中で刺殺されたという摩訶不思議な事件が二階堂蘭子のもとに持ち込まれた。

 この建物は上から見ると完全な正方形で、大きさの違う正方形の箱を入れ子にしたような形になっていて内側の部屋は少しずつ小さくなる。一辺が22メートルの壁の中に16メートルの四角い部屋、10メートルの四角い部屋、そして一番奥の一辺が4メートルの四角い部屋が殺人現場だ。天井は共有で、廊下を反時計回りに4分の3回ったところにドアがある。たどり着くまでに四つのドアを通らなくてはならないという四角い渦巻き状になっている。この一番奥の部屋で泥具根博士は背中を刺されて死んでいるのが発見された。鍵は死んだ博士が持っているだけで、発見者たちはドアを打ち破って入って行かなくてはならなかった。この建物の周りは降ったばかりの新雪で足跡ひとつなく、つまり博士は四重の壁と新雪という五重の密室の中で殺されていたことになる。

 今まで誰も考えることさえしなかった五重の密室殺人事件を蘭子が見事に解決する。その推理の組み立ては納得のいくもので、五重の「密室殺人事件」を充分に堪能した。とても面白かった。

 

 「マーキュリーの靴」。北新宿にある日本一高いといわれる高層ビルの屋上のある別宅に、今井とも江がというミステリー作家が住んでいた。原稿を取りに来た編集者の戸山が室内に入ると、今井はペーパーナイフで胸を刺されて死んでいた。屋上の一面の雪の上には家まで続く女性編集者の足跡しか残されていなかったことは警察の捜査でも確認された。すべての状況が自殺であることを示していた。主人公の探偵は事務所を訪れて来た弁護士から、遺族から自殺では保険金が下りないので自殺ではないということを証明してもらいたいという依頼を受けた。今回の弁護士からの依頼は自殺の否定だった。

 数寄屋橋に近い三番館ビルのなかにあるバー「三番館」。消防署長と税務署長が止まり木にとまっていた。「西洋の商売の神さまのマーキュリーは羽根の生えた長靴を履いているそうだから、犯人も空中で飛ぶ靴でも履いていたのでしょうかね」と一人の署長が言う。そしていつもの通り、ひげダルマみたいなバーテンがこの密室殺人を解明する。まったく良く出来た「密室殺人事件」だった。

 

 「デヴィルフィッシュの罠」はラジオドラマの脚本そのものの一編だ。[279]「法月綸太郎編のミステリ・アンソロジー」で、エラリー・クイーンの「ニック・ザ・ナイフ」というラジオドラマの脚本の一編を読んでいる。ドラマの脚本なので小説よりも贅肉がそぎ落されて、ミステリーの本質の部分だけが語られるので想像力が刺激されそれがとても新鮮で面白く読んだ。