これが見納め、かな

 

◇ 歌会 VOL.1

 4年ぶりとなるコンサート「歌会 VOL.1」が始まり、3月13日に東京国際フォーラムまで出かけた。今回のコンサートは1月から5月までの5か月間、東京で10公演、大阪フェスティバルホールで6公演、全16公演しか予定されていない。久しぶりのコンサートなのに東京と大阪の二都市で16回というのは何としても寂しいことだし、華々しいリスタートではないような気がして、つい彼女の年齢のことを考えてしまった。

 思い返せば、2020年の1月に”ラストツアー”と銘打ってスタートした「結果オーライ」は全24公演の8公演目の大阪フェスティバルホールの時に緊急事態宣言が出され、以後のツアーは中止になった。コロナ禍の3年、そしてこのコンサートを再開するまでの間、中島みゆきは自分の年齢と相対しながらいかに過ごしたのだろうかと考えると切ないものがある。まったく時間だけを無駄に費やしたコロナ禍であったとしか言いようがない。十代二十代の3年や4年はすぐに取りかえせるが、60歳から70歳にかけての3年4年の空白は取り戻しがきかない。そのことはわが身のこととして実感している。

 「ご無沙汰いたしておりました。中島みゆきです。ようやくお目にかかることができました。あの日から4年、4年経って今度は気持ちも新たに歌会VOL.1です。どうぞごゆっくりおくつろぎください。」という冒頭の挨拶に大きな拍手が起きた。

 

 家人と一緒に行く予定で二枚購入したが都合で行けなくなってしまった。当日キャンセルは出来るだろうと軽く考えて窓口に行くと、チケットのキャンセルはできません。それは購入時の注意書きに記載してあります、との返答だった。入場する際に本人確認が必要なので会場付近でチケットを転売することなどできない。それはないだろうと思ったが、チケット一枚16,500円が無駄になる覚悟をしなければならなかった。夕食とコーヒーを済ませ、有楽町駅方向から会場に向かおうとしたその入り口当たりで、“チケットが欲しい”と手書きのカードを掲げている女性とばったりと出合った。まさかこの場所にこんな人がいることなど想像もしないことだったので驚いた。何かの力が働いて引き合わせてくれたのだと思う以外になかった。“チケット、一枚あるんだけど”、“いいんですか、譲ってもらえますか? 定価でいいですか?”とすぐに反応してくれた。行っても無駄だと思ったけど、それでも今日会社を休んで来てしまった、と女性は訴えるように言った。お互いに無駄にならなくかったのは何よりのことだと思った。私は自分のマイナカードを提示し、“この人は同伴者”と指さして二人で入場した。彼女がバッグから取り出した17,000円の入った封筒から16,000円を取って、チケットを無駄にしなくて良かったからと1,000円が残った封筒を返した。チケット代を無駄にしないで済んだということよりも、コンサートを観たいと願望していたファンに席を提供できたことが嬉しく、これはまさに神(中島みゆき)の御意思以外の何ものでもないと思った。

 前から7列目という豪華な席で、アンコール2曲を含め全19曲を力強く歌い上げたコンサートを堪能した。高い音が出なかったり息が続かないのを見せられるのはいやだなと思ったが、前のコンサートと何も変わらないほど声量も力強く音程もしっかりとしていた。

隣に座った彼女はバッグからオペラグラスを取り出しコンサートに没入していた。なかなかコアなファンだと思った。隣り合った席で何の話もしなかったが、終わって席を立つとき、“良かったね”と一言言って別れた。私にも忘れられないコンサートになったが、彼女もいつも思い返すようなコンサートであってくれたらと思った。

 神の恩恵そのものだったといことを確認しておけばと、心残りといえばそれだけだった。

 

 2024年の今だから、ずっと続くウクライナで繰り広げられている暴虐や、ガザ地区の悲惨を目の当たりにしている今だからこそ歌われなければならない歌、歌うべき歌がある。ラストのひとつ前で歌われた「ひまわり"SUNWARD"」には胸打たれた。

 

たとえ どんな名前の人の庭でも 花は香り続けるだろう

あの ひまわりに訊きにゆけ あの ひまわりに訊きにゆけ 

どこにでも降り注ぎうるものはないかと だれにでも降り注ぐ愛はないかと

 

 政治的なメッセージになることを避けたかったのか特にコメントもなく、それでも最後の曲の前という印象的なところで歌われた。テレビで映し出されるウクライナの広大な畑に咲くひまわりが思い浮かんだ。

 あのひまわり畑のだけではなく、世界中のどこにでも降り注ぐ愛、誰にでも降り注ぐ愛はないかと、彼女は問いかけていた。

 

◇ これは慈悲の心ではないのか 

 「4年も待ったのに、何だか時間が経つのが早くて、もう最後の曲の時間です。明日何が起こるかなんて誰にもわからないもので、1秒先に起こることさえ私たちはわからない。それは昔々からきっとそうだったんでしょうし、これからもきっとそうなんでしょう。私だってまさかここに至ってアニソンデビューするなんてことがあるとは、思いも寄りませんでした。本当に思いも寄らないことがいっぱいあるけど、今日は、この今をありがたいと、私は、ただ、思います」、こう言って最後の「心音」になった。

 この曲はアニメ映画「アリスとテレスのまぼろし工場」のために書き下ろされた主題歌、いわゆるアニソンで、コンサートの最後に残ったエネルギーを一気に放出させたかのように力強く迫力があり、ただただ感動的だった。「未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行け」という歌詞は、共に生きていこうというわけではなく、助け合おうというわけでもない。共に過ごした日々を大切にしつつも、人間は究極的には一人なのだから、自分自身の力で未来を切り拓いていかなければならないのだというメッセージと受け取った。まるでつき放すかのようにさえ見えるが、このつき放すことこそ実は深い慈悲の心、その慈悲の発現なのだと思った。

 外に出ると南岸低気圧の通過による北風が吹き荒れていて、少し汗ばんだ身体が急速に冷えるような気がした。

 「未来へ、君だけで行け」か、と呟き、気合を入れて北風に向かって東京駅に行きかけて急に足が止まった。もしかしたらこのコンサートが見納めではないという思いに襲われたのだ。その一瞬の雑念を振り払うようにもう一度気合を入れ直し北風に向かってまた歩き出した。この一歩一歩が来年もまた無事に会えることへの祈りだと思った。