「どうする家康」が終わった

 

◇ ドラマには向かない人物

 大河ドラマ「どうする家康」の最終第48回「神の君へ」が無事終わった。10%台で低迷したまま一向に上向かない視聴率に加え、後半、主役と準主役が所属する事務所のスキャンダルも明らかになって、途中で打ち切りになるのではないかと少し心配した。裏番組の、おそらく十分の一程度の製作費用で実にお手軽な内容の「ポツンと一軒家」に一度も数字で上回ることがなかったことが何とも残念なことだった。

 改めて「徳川家康」はドラマ化し難い人物であるということが分かったような気がする。まさに同時代の織田信長には破滅に向かう英雄物語、豊臣秀吉は出世物語としてドラマを盛り上げる要素にこと欠かないが、徳川家康にはそのどちらも決定的に不足あるいは欠けた人物だ。結局、信長、秀吉、あるいは武田信玄の適当な相手役が最後の勝者になったということで、これでは山場の作り様もない。我慢辛抱して生き延びさえしたら、そして運さえ良ければではドラマにはならない。織田が搗き羽柴がこねし天下餅、最後に喰うは徳川家康という口ずさみの通りなのだ。主人公の思いや行動に共感して物語の中に入り込むということがそもそも的に難しい人物なのだ。

 これを逆に見れば、日本人はいわゆる「成功者」よりも「志半ばで散り行く者」に心が動かされる傾向にあることが改めて見えてくる。武家政権を確立し武士の地位を安定させた源頼朝より源義経、明治新政府を樹立した大久保利通より敗れることか分かっても挙兵した西郷隆盛、いずれも敗れ去った者たちだ。

 たまたま偶然、しかし歴史的に見れば必然なのだろうが、生き残った者が主役の大河ドラマといえば、20年の「晴天を衝け」くらいしか思い浮かばない。たまたま偶然では波乱万丈のドラマの創りようがない。

 

◇ 重き荷を負うて

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。/不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。/堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。/勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。/おのれを責めて人を責めるな。/及ばざるは過ぎたるよりまされり」。

 これは家康の「遺訓」として有名なものだ。高度経済成長期の昭和40年代後半から50年代前半頃、この「遺訓」が額に入れられ中小経営者の社長室の壁に「社訓」と並べて掲げられてあったものだ。朝礼で「社訓」の唱和に続いてこの「遺訓」を社員全員で声を合わせて読み上げたりする場面をテレビで観た覚えがある。この「遺訓」を「人生訓」としてきた人たちによって昭和の繁栄が築かれたように思う。

 今更ではあるが、この「遺訓」は今を生きる人たちにとっても指針となるような内容ではないかと思う。人生は長い、急ぐな。不自由が当たり前だと思え、野心が起きたら不自由だったころのことを思い出せ。辛抱しろ、決して怒るな。勝つことばかりを考えていたらきっと敗けるぞ。自分を責めても良いが人を責めるな。生きるためには少し足りないくらいがちょうど良い。自分が足りていないと思うから成長できるのだ。実に的確に人生の要点が語られている。 

 この他に現代の組織論やマネジメント論にも通ずるような「家康の言葉」がいくつも遺されている。例えば「多勢は勢ひをたのみ、少数は一つの心に動く」は、人数が多いと数に頼り油断が生じて力を発揮できないが、少数であれば団結力が増して力を発揮できるということだ。人が多いとリーダーの目が届きにくいこともあって、自分がやらなくても誰かがやってくれると考える人が少なからず出て、プロジェクト・チームとしての推進力が落ちてしまいがちになる。チームを構成するメンバーには、めざすべきゴールを示して、各々の役割を明確にすることが肝要だ。すべきことがはっきりしていれば、誰かがやってくれるといった油断は生じにくくなると言っている。

 リーダーの心構えとして「愚かなことを言う者があっても、最後まで聴いてやらねばならない。でなければ、聴くに値することをいう者までもが、発言をしなくなる」という言葉もある。リーダーは常にチームのメンバーから見られている。そのため、メンバーの意見には等しく耳を傾けるべきでそれを怠ると「部下の意見を聞かないリーダー」というレッテルをはられて、有意な提案を聞き流してしまったり、提案したメンバーの意欲を割くようなマイナスの効果しかなくなるということだ。

 また、リーダーと部下との関係性について触れた言葉にはこのようなものもある。「大将というのは敬われているようで、たえず家来に落ち度を探られているものである。恐れられているようで、あなどられ、親しまれているようで憎まれている。だから大将というのは勉強しなければならないし礼儀をわきまえなければならない」。「家来を禄でつないでも、機嫌をとっても、遠ざけても近づけても、怒らせても油断させても“ならず”」。つまり、肝心なのは、リーダー自らが仕事に対する姿勢や態度、言葉遣い、覚悟を示すことで、「家来(部下)にそれを見せる」ということだ。部下たちに「このリーダーの力になりたい」と思わせることが、苦境にも粘り強く対応できる組織を作る秘訣だと教えてくれている。

 

 ここまで書いて来て急に昔のことが思い出された。「年寄りが若い者に向かって人生訓など語り始めたら、そいつはもう終わりだね」、若かりし頃の私はそんな生意気なことを平気で言ったものだったった。言い訳ではないが、今日のこの「日記」は徳川家康の「人生訓」や「名言」を紹介しただけで、私が家康の「遺訓」を指針にして生きて来たとか、このように生きるべきだと押し付けるようなそんな気持ちは毛頭ない。既に古希を過ぎたとはいえ、私にはまだ女性をモノにしたいという欲望と野心がまだある。まだ途上だ、人様に向かって「訓」など垂れる気などまったくない。

 結局、生き残った者、最後まで生きていた者が勝者なのだ。これを今年の大河ドラマを観終っての総括としたい。

 

 2023年も今日一日だ。色々、様々なことがあった一年だったが、とにかく無事に歳が越せそうだ。それが何よりなのだと思う。