おじさんの腹立ち日記 <その151>   令和元年 5月 5日(日)
 
NHKから国民の何を守るというのか  
 
◇ ゴールデンウィーク
世間は10連休のゴールデンウイークだと浮かれているが、こちらは毎日がゴールデン、365連休という“黄金の日々”をもう何年も続けている。あり余るほど時間はたっぷりあり、それに負けないほど資金も潤沢にたっぷりとあるが、わざわざ人混みを
求めて出かけることもないだろうと、いつもと何も変わらない一週間を過ごした。
テレビの話題は「今年のGW10連休」で始まったが、連休に入ってしまうと「平成が終わり令和が始まる」、「天皇の退位と新天皇の即位」の一色になり、何かいつもの年とは違って浮かれ立つような雰囲気があった。それが今年のGWの一番の特色であったように思った。
 
テレビのこの一週間はどの放送局も「平成を振り返る」と「新天皇、新皇后」の「特番」が組まれ、どのチャンネルに回してもMCとパネラーの顔ぶれが違うだけで内容は同じものばかりでそれが3日も4日も続くといささか食傷気味になった。
「平成の終わり、令和の始まり」特番ではない別の番組、とチャンネルを変えてもGW期間中の手抜きのような「スタジオに集まったタレントや若手お笑い芸人が何かをネタにバカ笑いする」的な番組が目立つほど多かった。こんな馬鹿々々しい番組を観て笑い転げている奴もバカだが、それを仕事にしている奴の気が知れない、とすぐにチャンネルを変えてしまうのだが、最近はNHKも若いタレントやお笑い芸人が出演する番組が目立って多くなったような気がしている。「皆様のNHK」ときれいな言葉で言うが本気でそう思っているのか、オレはその「皆さま」に該当しないのか、とテレビの向こうで大口を開けて笑っているタレントに向かって罵詈雑言を浴びせかけるが、いやいや選択的に選んでいるのだからチャンネルを回す権利や電源そのものを切る権利は自分の側にある、と思い直してテレビを消すことを繰り返していた。
NHKまでがなぜこうもガキのようなタレントやお笑い芸人を集めた番組を放送するのか、よく言われるNHKの品位だとか品格の他に「静謐」は求められないものなのか。とにかくうるさいし騒がしい。そして少しも面白くはない。夜の7時からテレビを消す10時までの間に観るような番組が無くてそれだけでも腹立たしかった。今年はテレビを消している時間の方が多かった。
 
◇ 「NHKから国民を守る党」を知っているか
今回の統一地方選挙でNHKへの批判を唯一の主張として掲げた政治団体「NHKから国民を守る会」の候補者が26人当選した、というネットの記事を見た。これで所属する地方議員は選挙前の13人から39人に大幅に増え、東京都23区中19区議会に議員がいることになった、ということを知ってヘェとばかり驚いてしまった。この政治団体は元NHK職員が13年に設立したもので、代表者は受信料請求額の減額やワンセグ機能付きの携帯電話の所有者への受信料義務付けは不当などということを争点にNHKと司法の場で争ってきた人だということを記事で知った。選挙戦では「受信料を支払わないあなたを全力で御守りします」と書かれたシールを配布、ネットの時代にNHKのみに強制的に受信料を支払わせることへの不満が投票に結びついたのだろうという解説があった。子育て世代の支援とか保育施設の整備とか少子高齢化問題とか、候補者全員が同じようなことを公約に掲げる地方議員選挙では、少し色の変わったやや過激な主張でも新鮮に見えたのだろうが、ワン・イシュー、ひとつの政策だけを問題点として、それについて賛成か反対かを問う選挙の危険性を私たちはつい最近の「郵政選挙」で経験したはずだ。さらに言えば、NHKの受信料の支払いのどうのこうのなど地方政治とはまつたく何も関係しないものだ。一番身近なはずの地方議会選挙にも関わらず有権者の無関心がこういう結果に結びついたとしか見えない。
 
そういえば、と思い出したことがあった。去年の夏頃、私が通勤に使っていた最寄りのターミナル駅のぺディストリアンデッキの人の通行の邪魔にならない辺りで、NHKに受信料を支払わないで済む方法を教えます、と書かれた幟を立てビラを配っている男性を何度か見かけたことがあった。選挙かあるわけでもないのに何をしているのだろうか、と思ったことがあった。あの時、もう少し詳しく聞いておけばよかったと今更ながら思った。
払わないで済むものならそれに越したことはない。不必要な支出を歓迎する人はいないだろう。だが、災害などの緊急時に正確な情報こそが人心を安定させる唯一最大の効力なのだ、という公共放送の持つ必要性重要性を忘れてはならないように思う。
 
◇ 単に技術の問題だ
2か月で4460円の放送受信料を惜しんでいるのではない。政府の干渉を受けず一私企業の宣伝媒体でもなく、何からも独立して自由ないわゆる「公共放送」を保つためには広く国民から受信料を徴収してそれに充てる、というその理念には賛同する。地震や気象災害などの際に「公共放送」の果たす役割の大きさは誰もが実感していることだ。「公共放送」は必要だしそのためには受信料の支払いもやむを得ないと理解するが、それはあくまでも「広く公正公平に負担」ということが担保されて、という条件が付くものだ。
4K8Kの技術革新も必要なことかもしれないが、拠って立つそもそもの放送受信料徴取の技術的開発こそが今最も求められているものではないのかと思うのだ。NHKの放送を観る人が受信料を負担する。契約時間数によって料金は変動する、そしてNHKを観ない人はそもそも受信料を負担することはない、これこそが「公正公平な負担」の原理原則ではないのかと思うのだ。受信料徴収の不公平感が不信感を醸成する、当たり前のことだ。不公平感を払拭した公平な負担という原理原則を明確に見えるようにすることこそ4K8Kの開発より先に行われるべきではないのか。その技術開発がそれほど困難なことだとは思えないのだ。「有料テレビ放送」の技術が確立されあらゆるジャンルの放映を選択して観ることができるという社会になっている。
受信契約をして人は観られるが契約がない人は観ることができないという、ごく当たり前のことがごく普通に行われている。
アイドルタレントやお笑い芸人を何人も並べて、時間潰し的なバラエティ番組をただ垂れ流すのでは民放と何も変わらない。こんな番組を観せられて<皆さまの公共放送>といわれても、違和感しかない。放送受信料の金額や負担をどうこう言っているのではない。受信料はきちんと支払う、だから「商品」を選ばせて欲しい、少なくても「商品」を評価させてもらいたいと思うのだ。観ないという姿勢を表すことで製作側に自分が送り出している番組を拒否された、ということを伝えられたらと思うだけなのだ。芸人や若手タレントのバカ騒ぎに誰が受信料など払うものか、ということをNHKに分かってもらいたい、とそう言いたいのだ。
 
NHKから国民を守る党」は7月の参院選に10人の候補者を擁立すると発表している。「幸福実現党」とどちらが先に国会に議席を持つだろうか。「政治」そのものの貧困がこのような形で現れたと見るのは表層的で、実は誰かの<思う壺>にはまっているのかもしれないなどと思ったりした。