ぼくら鏑川戦争応援団 | 岩井 けんたろう の ブログ

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この本は、戦時中に集団疎開で富岡に来た王子第二国民学校の児童のひとり、石毛 多喜男さんが執筆した本である。
謹呈していただいたので読んでみる。大変細かく当時の様子が書かれており、私も知らない事ばかり。以下に少し紹介する。

「少国民」と言われ兵隊ゴッコに明け暮れた。日本が負けるなんて思わなかったからー
食糧が乏しくなり、家や町が壊されていく不安
親元から離れるつらさや淋しさを救ってくれたのは「富岡」の人々のやさしさと自然だった
そんな表紙である。


本の表紙               鏑川に架かる吊り橋(和合橋)かな

 


序文は、昭和二十年八月十五日 群馬県富岡町

昭和二十年八月十五日 、僕は群馬県北甘楽郡富岡町(現・富岡市)にいた。東京都王子区(現・北区)から学童疎開で来ていたのである。国民学校(小学校)五年生であった。平成二十六年(2014)世界文化遺産に登録され、各方面から注目されている「富岡製糸場」のすぐ前にあった「美濃久旅館」が宿舎であった。
こんな書き出しで始まっている。

集団疎開要項
出発 19年8月8日
宿舎            
美濃久   児童数4年男45人・3年女49人 教員男2人・女1人 寮母4人
源氏    児童数3年男42人     教員男1人 寮母2人
萬屋    児童数6年女51人    教員女1人 寮母2人
常盤館   児童数4年女41人 教員男1人 寮母2人
下仁田館  児童数5年男51人・5女39人 教員男1人・ 女2人 寮母3人
新杉原   児童数6年男62人        教員男1人      寮母2人

現在,この学童疎開を知っている人は地元にいるのだろうか?作者によると皆無だと書かれている。

製糸場が世界遺産になり、製糸場の前に美濃久旅館があった。そこに学童疎開の小学生たちが寝泊まりしていたとは、私も昔から美濃久を利用をしたひとりであるが、このような話を一度も聞いたことは無かった。

元気な富岡今日も晴れ!!

本日の製糸場来場者数 3,431人 ご来場ありがとうございました。