今日は、良く晴れて暖かな一日だったね。今頃の季節が一番過ごし易いかな(^。^) 今度の連休も晴れて暖かな日が続くと良いね。



山男のブログ-桃色リンドウ


大谷寺の観音堂と脇堂の地下深くには古代人の生活していた痕跡が残っているんだよ。ここだけでは無くて、大谷寺周辺にも古代人の生活跡が散在しているよ。


ここの遺跡は「大谷岩陰遺跡(大谷洞窟遺跡)」と言われているんだよ。この遺跡が発見されたのは、千手観音立像をはじめとする磨崖仏の保存処理の工事が行われた時だったんだよ。


この洞窟内から、さまざまな土器の破片や、石器、獣骨や貝殻そして人骨等が発掘されたんだよ。これらは鑑定の結果、約1万1000年前の縄文時代創世記から約2000年前の弥生式土器時代の約9000年間の古代人の住居跡だったんだよ。凄いでしょ。



山男のブログ-大谷寺 宝篋印塔


さらに特筆すべきは、完全な形の「屈葬人骨」が発掘された事なんだよ。この人骨は手足を折り曲げて横向きの形で埋葬されていたんだよ。


年代測定の結果は、縄文時代創世記の成人男子の遺骨だと言う事だよ。


身長は154センチ、年齢は20歳前後と言う事までは判明したんだよ。



山男のブログ-大谷寺 石仏群


現在、この人骨を含む発掘品はお寺の宝物館で保管展示して有るよ。ここも写真撮影禁止なので写真を掲載できないのが残念だよ。(-_-メ)


この洞窟は奥行きが有って広いから大勢の人間が済むのには好都合だったんではないのかな、さらに、近くには「姿川」が流れているから食料採取にも良かったと思われるよ。



山男のブログ-大谷寺 石燈籠 01


観音堂を出て、入り口受付の前を横切ると、宝物館への入り口に成るんだけど、ここには小高い岩の上に鐘楼が建っているよ。



山男のブログ-大谷寺 鐘楼


この鐘楼にかかっている梵鐘は、「大谷寺中興第4世応研和尚」が願主と成って、1965年(元禄8年)に宇都宮の鋳物師「戸室重郎兵衛(藤原定国)」が鋳造した梵鐘(銅鐘)なんだよ。この戸室定国が鋳造したものでは最古のものと言われているよ。



山男のブログ-大谷寺 梵鐘


戸室家は江戸時代の初期から宇都宮鉄砲町(現、宇都宮市馬場通り1丁目)に住み、代々宇都宮藩御用鋳物師として活躍していたんだよ。

この梵鐘は高さが110センチ、口径は48.5センチだよ。

やや小ぶりだけども美しい姿をしているね。どんな音色がするのか興味が有るね。



山男のブログ-大谷寺 宝篋印塔 02


この鐘楼の裏側が宝物館だよ。この付近は狭いので歩きにくい事甚だしいよ。


宝物館の東側には大きな池が有って、池の中の小島には弁財天が祭られているよ。



山男のブログ-白蛇弁天


この池には白蛇伝説が有るんだよ。


昔はこのお寺の周辺は大小の岩山が連なっていてここだけが広くて平らな土地に成っていたんだよ。そして、この岩山の下から水がわき出して池に成っていたんだよ。この池には毒蛇が住み着いていて、時々毒水を流して付近の人々を苦しめていたんだよ。



山男のブログ-弁天堂


大同、弘仁(810年~)の頃に「弘法大師」が真言宗布教の為にこの地を訪れて、里人から毒蛇の話を聞き、里人の苦難を取り除こうとしてこの毒蛇の住む谷に入って行ったんだよ。

「弘法大師」は秘法を持って毒蛇に引導を渡したんだよ。


その後毒蛇は心を入れ替えて「白蛇」に成り、この池に祀られた弁財天をお守りするように成ったんだよ。

山男のブログ-弁財天 


又、別な伝説によると、「弘法大師」はこの谷に入り、14余日を掛けて「千手観音」「不動明王」「毘沙門天」を岩山に彫りあげ、この法力を持って毒蛇を退治したんだよ。里人たちは「弘法大師」の法力に」感謝して、観世音に帰依し仏教(真言宗)を信仰する人が増えたので大谷寺が開山されたと言う物だよ。



山男のブログ-子育て地蔵尊


どちらの伝説でも「弘法大師」の法力が取り上げられて居るね。



山男のブログ-道祖神


この池のほとりに立つと何か不思議な力を感じられると思うよ。今はやりの「パワースポット」なのかな?



山男のブログ-千手観音像


それとも「千手観音菩薩」の法力かな?はたまた、大地から湧き出る「気」の力かな?


今日はここまでね、続きは次回の更新でね(^_-)-☆