今日は朝から冷たい雨が降り続くね。この秋一番の冷え込みとか・・・。急にこれだけ冷え込むと身体が付いていけないよ。((+_+)) 明日も雨らしいから服装に気を付けないとね。奥日光は氷雨に成っているかな。
大谷平和観音は、大谷町の石工「上野波造」氏が太平洋戦争の戦没者の慰霊の為と世界平和を祈念して、1948年(昭和23年)に彫り始めたんだよ。これは大谷石の採掘場跡地を40メートル以上掘り下げ観音様の上の部分(御尊顔)から彫り進んだんだよ。上野氏の御子息も戦死なされたとか・・・・。合掌。
幾ら凝灰岩が柔らかくて加工が容易でも、この高さと大きさの観音様を彫りあげるのは簡単では無かったと思うよ。
その後、東京芸術大学教授の彫刻家「飛田朝次郎」氏が上野氏の悲願成就の意志と彫像を引き継ぎ、1954年(昭和29年)12月に完成したんだよ。費やした年月は6年余り!!
1956年(昭和31年)5月4日に日光山輪王寺門跡「菅原栄海」大僧正によって「開眼供養」が執り行われたんだよ。
この観音様の大きさは、身長27(26.93)メートル、胴周り20メートル、御顔の長さ5メートル、足幅1.5メートルも有るんだよ。
この観音様の右側には展望台への階段が取り付けられているよ。登り切った処は観音様の背中の高さが有るよ。周囲は山なのであまり眺望は利かないけど、観音様の周辺の様子は見られるよ。
階段の横には、ここ城山地区から明治維新以降の戦争に出征して亡くなった方たちの慰霊碑が立っているよ。
又、この場所から市営駐車場を経て、宇都宮市内材木町(宇都宮地方裁判所の道路向かい、大運寺跡周辺)まで大谷石を運び出すための軌道が敷かれていたんだよ。この軌道の開設は1897年(明治30年)だよ。当時は大谷石と乗客を乗せて頻繁に往復していたんだね。
市営駐車場との連絡道路(参道)の広場側には細長い岩が立っているよ。これは「スルス岩」と名付けられているよ。名前の由来は、岩の中程に横に亀裂が入り、丁度石臼(磨臼)の様に見えるところから名づけられたんだよ。現在は倒壊防止の為に下側がコンクリートで固定だれているからみすぼらしく成ってしまったけどね。
そして、この参道の大谷街道出口付近にも、奇妙な形の岩が立っているんだよ。これは「天狗の投げ岩」と言うんだよ。
これは、大谷の南側に位置する「戸室山」に住んでいた天狗が、大谷に向かって放り投げた岩がこの岩にてっぺんに乗っていると言う伝説から名づけられたんだよ。
この岩はただ下の岩に乗っている様に見えるので、岩の下回りをコンクリートで固定して、なおかつワイヤを張り巡らして墜落しない様に補強しているんだよ。
観光で来て見ているだけならスリリングで面白いんだけど、現実問題として墜落したら想像以上の被害が出るからね。参道わきには人が住んでいるからね。
これは、大谷石を切り出した残りの岩だよ。ちょっとモニュメントみたいに見えるよね。彼は観音様の前の広場に有るよ。もう一つ、この広場には面白い岩が有るよ。
親子カエル岩と言う名前なんだけど、下から見ては理解できないと思う。この岩の近くの展望広場に上がっても、何となくそう見えるかなぁという程度だから・・・(・。・;
由来はこの説明板で確認してね(@_@;)
こちらは、広場の周囲の石切り場の跡。最初に大谷石が彫られたのは江戸時代なんだけど、その頃は、地上に出ている岩の所から掘り下げて行く露天掘りだったんだよ。だからこの様に切り出した後は、切り立った崖に囲まれた広場に成るんだよ。
これと似た物には、神奈川県の三浦半島追浜の「鷹取山」が有るよ。こちらは砂岩の石切り場跡地なんだけど、駅から近いのでロッククライミングのゲレンデにばっているよ。 この鷹取山から切り出された石は江戸城の建設に使われたと聞いているけど本当なのかなぁ。
観音様の右手に有る切通しを通り抜けると、「大谷観音」へ行く近道に成るよ。ここは元々はトンネルだったんだけど、崩落の危険性が有ると言う事で天井部分を切り落としたんだよ。切通し上部の平らな部分が切り落とした処だよ。大谷石は軽くて加工し易いけど、その反面風化による劣化が早いからね。
切通しを抜けた両側にはお土産屋さんが有るよ。そして、道路向かいには「坂東33観音霊場」の大19番札所の大谷寺の仁王門が有るよ。この周辺には、大谷寺の駐車場が有るけど、道が狭いから要注意ね。
今日はここまでね。続きは次回の更新でね(^_-)-☆











