今日午前中は晴れて暑かったけど、午後から雲が出始めて来て気温が下がり始め、夕方からは雨が降り出したよ。いよいよ台風の影響が出始めたかな。今回は関東地方と沖縄地方とに、別々な台風が来ているから油断はできないよ。大きな被害が出なければ良いけど・・・・。



山男のブログ-精錬所 遠景 01


足尾銅山の精錬所は、古河橋付近は建物が残されているけど、それ以外は殆どの建物が撤去されているよ。御蔭で精錬所の敷地の広さが判り易いけどね。


昨日話した古河橋の前身の「直利橋」の「直利」と言う言葉は、「銅鉱を多量に含んだ良質の鉱脈」と言う意味だよ。その言葉が橋にも付けられる位、足尾銅山の鉱脈は優れていたんだね。



山男のブログ-精錬所のシンボル


今日は、銅山で使われていた電気の電源についてちょっとだけ紹介するよ。


間藤駅と古河橋の中間、精錬所への引き込み線を越えた辺りに狭いけど駐車場が有るんだよ。この駐車場の片隅に大きな鉄管が少しだけ残っているよ。



山男のブログ-送水管跡 01


右側の電柱の根元辺りに有るんだけど判るかな?似たような色だから判りにくいかも。



山男のブログ-送水管跡 02


これならわかるよね。これは1890年(明治23年)12月に完成した原動所(水力発電所)だよ。これ以前は、薪や木炭を使った動力(火力発電)だったんだけど、それに代わる物として、ドイツのジーメンス電気機械製造会社のヘルマン・ケスラー技師の勧めによって水力発電に切り替えることにしたんだよ。これは周囲の山々の樹木が無計画な伐採によって無くなって来た事とも無関係では無かったんだよ。



山男のブログ-水力発電所跡 01


結果としてこの水力発電所は日本で最初の水力発電所に成ったんだよ。そして、上流の松木川と深沢川から取水して2・9キロの水樋を通ってこの取水管の有る山の頂上付近の鉄管に繋がっていたんだよ。



山男のブログ-水力発電所跡 03


そして落差318メートルの水力によって、トルビン式横水車を回転させたんだよ。ここで発生した400馬力(キロワット?)の電力は、揚水機(坑内排水)、捲揚機(立て坑ケージ用)、坑内電車や電灯に利用されたんだよ。この水力発電で出られた電力が足尾銅山の近代化を強力に推し進める原動力に成ったんだよ。


山男のブログ-水力発電所跡 02


現在は、発電所の名残の送水管(直径1メートル)が道路わきに残っているのと、渡良瀬川の川床に発電所の基礎部分が残っているにすぎない。もし、現在も発電所が残っていて発電をしていたら、足尾町で必要とする電力の大部分を賄えたかもしれないね。



山男のブログ-送水管上部跡


送水管の有る場所の上部はこんな感じに成っているよ。ここから真下に向かって水が流れ落ちて行ったんだね。勿論送水管の内を・・・だよ。この手前(撮影者側)はちょっとした平地に成っているんだけど、すぐに急峻な斜面に成るんだよ。幾ら銅山の為とはいえ送水管を設置するのは並大抵の苦労では無かったろうね。



山男のブログ-龍蔵寺

古河橋からさらに上流に向かうと、道路右側に寺院が有るよ。この寺院は「天台宗 赤倉山 龍蔵寺」と言って、701年(大宝元年)に「役の行者(えんのぎょうじゃ)」が創立したと言われているんだよ。その後一時寂れかけていたのを「慈覚大師(栃木県出身)」が再興したんだよ。それ以降「勝道上人」との縁を持って日光山との縁を深めて行って、遂には「輪王寺」の末寺に成ったんだよ。



山男のブログ-松木村無縁仏供養塔

この龍蔵寺は、明治20年の大火で焼失したんだけど明治28年には再建できたんだよ。

石段を上った左手には、松木村の無縁仏供養塔が立っているよ。ここから松木村を廃村にした精錬所を見つめている様だよ。


そして本堂右手の墓地入り口には、こんな変わった墓石が立っているよ。



山男のブログ-親分子分の墓

名付けて「親分子分の墓」と言うんだけど、親分子分と言ってもやくざの親分ではないよ。

鉱山で働く抗夫さん達の組織(?)で、先輩後輩が親分と子分の契りを結んで坑内では組に成って作業に従事したんだよ。もしもの時にお互いを支え合い助け合う為の知恵だね。


龍蔵寺に限らず、足尾地区内の寺院には抗夫さん達の墓地が多数有るよ。ここのお墓の墓石には被埋葬者の出身地も彫り込んであるから、足尾地区以外から入って来た人だと直ぐに判るよ。



今日はここまでね。続きは次回の更新でね(^_-)-☆