今日は、夏の様に暑かったねぇ。汗が凄かったよ。(>_<) 水分の補給が間に合わないような・・・。



山男のブログ-道端の花


今日は宇都宮の東部を流れる西鬼怒川の話をするよ。西鬼怒川とは、鬼怒川の西を流れる川だから西鬼怒川と言うんだよ。そのまんまだけど(*_*)




山男のブログ-緑水公園 案内図


この源流部には江戸時代までの流れと、明治時代以降の流れと、昭和以降の流れの3本の流れが有るんだよ。



山男のブログ-鬼怒川本流


一番古い流れは、この鬼怒川本流のもう少し上流で自然に流れが分かれて西鬼怒川に成ったんだよ。下流の農村では灌漑用水として利用していたんだよ。



山男のブログ-取水堰 遠景


奥に見える取水堰の手前側から分かれて、手前の土の部分(後で土盛りをした)から西鬼怒川として流れていたんだよ。。

ただ、自然に流れていたので、台風や激しい雷雨の時などは頻繁に氾濫して下流の農地や住宅に被害を与えていたんだよ。



山男のブログ-親水公園

左の土手は、西鬼怒川の堤防、中央が古い西鬼怒川の川床だよ。本流は右手の方に流れて行くよ。



山男のブログ-瓢箪池と海賊船


この古い河川敷は、現在は親水公園として整備されているんだよ。上流側はキャンプ場、この辺りは芝生の多目的広場(子供の遊び場)、下流部は駐車場と農地に成っているんだよ。



山男のブログ-旧河川敷きの田んぼ


ここからは田園地帯に成っているんだよ。昔の暴れ川の面影は見られないよね。そして、西鬼怒川の流れは、下流の今里町で水を取水して宇都宮の城下町に流したのが「御用川」だよ。御用川は1620年(元和6年)ころに藩主「本田正純」が開削させたんだよ。宇都宮城のや城下町の整備するのに、資材を運ぶ水路だったんだよ。同時に、西鬼怒川の分岐点も整備したんだよ。


山男のブログ-西鬼怒川 由来 2


だから、御用川は「御用掘り」とか「御用川用水}とも言われていたんだよ。

その後、1668年(寛文8年)には藩主「松平忠弘」が年貢米や物資運搬のために御用川を改修したので、灌漑用水路としても使われるように成ったんだよ。




山男のブログ-大岩壁



その前に、場所の説明をしておかないとね(^^ゞ 場所は宇都宮市と塩谷郡の境目(鬼怒川が境界線)。宇都宮から「玉生(たまにゅう)」方面に行く街道が鬼怒川を渡る橋(上平橋)の手前でわき道に入って堤防沿いに鬼怒川の上流に走るんだよ。



山男のブログ-大岩壁 2

この、自然のままの西鬼怒川は、何度も氾濫を繰り返したけど、1896年(明治29年)の洪水では、今里地区の水田はそのほとんどが水没してしまったんだよ。

その為に、1754年(宝暦4年9に設立された「逆木用水組合」が江戸時代から藩主や県知事に何度も改修の陳情を繰り返していたんだけど、1897年(明治30年)から明治31年に掛けて、新たに取水口を造る事に成ったんだよ。



山男のブログ-逆木洞門 取水口

それまでの分流点を塞ぎ、横に有る岩山をくりぬいて、取水口を作り、西鬼怒川に合流させて水量の安定化を計ったんだよ。


この続きは次回の更新でね(^_-)-☆