足利三代将軍木像

イメージ 1

奥から初代将軍足利尊氏、二代義詮、三代義満

イメージ 2

足利三代木像梟首事件

江戸時代後期、幕末の文久3年(1863年)2月22日に、京都等持院にあった室町幕府初代将軍足利尊氏、
2代義詮、3代義満の木像の首と位牌が持ち出され、賀茂川の河原に晒された事件である。
犯人は平田派国学の門人である三輪田元綱、師岡正胤とされ、会津藩士も関与。足利将軍3代を逆賊とする罪状が掲げられた。それまでの天誅は、開国派や公武合体派であった個人を狙ってのものが大半であったが、この事件では足利将軍の木像を梟首することで暗に倒幕の意味を持つものとして重視された。

事件は江戸で公募された浪士組の上洛直前にあたり、挑発的行為とも考えられている。京都守護職の松平容保は犯人捕縛を命じ、浪士の一斉蜂起も懸念されたが、1863年4月には犯人は逮捕され、8月には処罰される。事件後は浪士取締りが強化する。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

等持院

臨済宗天龍寺派。足利尊氏の墓所としても知られる。
足利尊氏は、1341年(暦応2年)に現在の柳馬場御池付近に等持寺を建立し、その二年後の1343年、現在の等持院北町に別院北等持寺を建立した。尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を「等持院」と改称した。その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺になった。

場所:京都市北区等寺院北町(地図
イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

足利尊氏公の墓