徳川慶喜墓所

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左が慶喜、右が妻美賀子の墓。

慶喜の葬儀は寛永寺で行われたあと神道式により谷中墓地に埋葬された。
明治維新後は「廃仏稀釈」運動が高まり、神式の国教化がはかられていた時期でもあった。

■地図谷中霊園 日暮里駅徒歩6分

寛永寺

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寛永寺本堂(根本中堂)
上野戦争で主要伽藍は消失。現在の堂は、寛永寺の子院・大慈院のあった敷地に、
明治12年(1879年)川越喜多院の本地堂を移築したもの。

慶喜が鳥羽伏見の戦いの途中に大坂城を脱出し江戸へ戻り
2月15日から寛永寺大慈院の四畳半の一室で約2ヶ月間の謹慎生活を送った。
寛永寺書院には「葵の間(蟄居の間)」が保存されている。(非公開)

上野戦争の記念碑
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彰義隊士阿部弘蔵が明治7年に記録した彰義隊結成から上野戦争の顛末に及ぶ文章が刻まれている。
明治44年寛永寺境内に建立された。

戊辰戦争東軍殉難者の碑
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寛永寺境内

■地図寛永寺 鶯谷駅徒歩5分