適塾

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適塾(てきじゅく)は、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が 江戸時代後期の天保9年(1838年)
大坂・船場に開いた蘭学の私塾。正式には適々斎塾という。また、適々塾とも称される。
緒方洪庵の号である「適々斎」が名の由来。

福沢諭吉、橋本左内、大村益次郎、久坂玄機、大鳥圭介ら、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの
人材が輩出した。漫画家手塚治虫の曽祖父にあたる手塚良仙も門下生の一人であった。
(フリー百科事典『ウィキペディア』より)

適塾 http://www.osaka-u.ac.jp/jp/about/tekijuku/index.html

福沢諭吉「福翁自伝」より

塾は不規則といわんか不整頓といわんか乱暴狼藉、まるで物事に無頓着。
書生はみな活発有為の人物であるが一方から見れば血気の乱暴書生ばかりでなかなか一筋縄でも二筋縄
でも始末にいかぬ人物の巣窟。
学問勉強ということになっては当時世の中に緒方塾生の右に出るものはなかろう。
日が暮れたからといって寝ようとも思わずしきりに本を読んでいる。読書にくたびれ眠くなってくれば机の上につっぷして眠るかあるいは床の間に床側を枕にして眠るか、ついで布団をしいて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。

大坂は暖ったかいところだから冬は難渋なことはないが、夏は真実の裸体、フンドシも襦袢も何もない真裸体。もちろん飯を食う時と会読をする時はには、おのずから遠慮するから何かちょいと引っ掛ける。
食事の時にはとても座って食うなんということは出来た話ではない。足でも踏み立てられぬ板敷きだから、みな上ぞうりを履いて立って食う。銘々に茶碗に盛って百鬼立食。

大阪のビジネス街の真ん中にポツンとある適塾。
夕暮れ時に久々に訪れてみた。
幕末当時、ここで久坂玄機(玄瑞の兄)、福沢諭吉、大村益次郎、手塚治虫のおじいさんたちが
学んでいたと思うといつ来ても感慨深い。
タイムトリップして当時の様子を覗き見してみたいものだ。

除痘館の跡

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適塾の裏手、愛珠幼稚園向かいの緒方ビル。

銅座の跡

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銅座の制定は明和三年(1766)から維新まで続き、明治十三年(1880)その跡に愛珠幼稚園が設けられた。
江戸時代、銅は重要輸出品の一つで、大阪では住友家などの銅商を中心に全国から銅の原料を集めて
精製し、この銅座でまとめ、長崎へ送って貿易の決済に充てていた。
場所:愛珠幼稚園前

ちなみに愛珠幼稚園は明治13年開園(1880)
現園舎は明治34年竣工(大阪市有形文化財)。大阪最古の幼稚園。