昔から、
「ずるい」って言われると
凄く苦しくなります。

妹と夫が良く使います。 

この二人は
私が出し抜いて何か得したりしたのなら
言われて当然と思うのですか、
全然そんなじゃない時でも
普通に言います。

何かたまたまラッキーだったり、
状況的にそうなっただけだったのに
ずるいって思われる事がショックなんです。

今日、夕飯を作りながら、
何故そう感じるんだろうと
色々思いを巡らせていました。

何でずるいって言われなきゃならないんだろう?
ずるい事なんかしてないのに…。
何だか理不尽だよな。
「理不尽」?
あ、理不尽だ。
そうか、理不尽なんだ。
理不尽が嫌なんだ。

そして凄くタイムリーだったのですが、
ご自身の最新のブログ内容に
凄いラッキーな出来事を載せてらした
咲都子さんに
(ミラクル!おめでとうございます!!)
昨年末お願いさせて頂いた
「光の使命解析」で、
名前から読み解ける
過去世の代表的なものにまさにそれがありました。
理不尽でやるせない体験でした。

また、以前他の方にも
「理不尽な体験をたくさんしてきたみたい」と
伝えて頂いた事もあります。

結婚して妹と離れたのに
今度は夫に言われる。

何か引っかかりがあるんだわ。
現在にもしこりを残した理不尽な体験。
これをどうしていくか、

今やらないとならないのかも知れない。


いい思いをすると
「ずるい」と言われるから
なるべくいい思いをしないでいたい。
極端ですが、そう言う思いが根底にあります。

母も妹も妬みが凄まじいので、
私は必死に不幸自慢と自虐ネタを
繰り広げていました。
妬まれるより馬鹿にされていた方が
安全なんです。

外でも、それをしていたら
ある方が
あまりにも自虐ネタが過ぎると
嫌味に聞こえるよ、
と指摘して下さってハッとなり
それからは自虐ネタは自宅内だけになりました。

不幸だとまわりが安心する、
幸せになってはいけない、
良い事があると恨まれる。

妹には
「お姉ちゃんが嬉しい時は
 かわりに誰かが
 嫌な思いをしてる時なんだからね!」
と言われた事もあり、
それがずっと胸に刺さったままです。
もう何十年も前の事です。
それは妹の問題だとわかっていても、
スルー出来ずに今でも苦しくなります。

もう解決した事だと思っていましたが
まだまだ残っていました。



私にも嬉しい事や楽しい事があっていいし、
自分が楽しい事、嬉しい事があった時
一緒に喜んでくれる人と一緒にいていいし、
そういう恵まれた環境にいてもいい、
幸せだって感じていい。

ストップをかけていたのは
そういう自分の恐怖が原因かも知れません。

嬉しい時、幸せな時、楽しい時、
素直な氣持ちの状態を保てるよう
まずは意識したいと思います。



そして幸運の持ち主、
咲都子さまのブログは
こちらです!
勝手にリブログ失礼致しました!