前回から続きます。 


娘の発達しょうがいは

高齢出産や私の向精神薬の影響とは

考えていません。


なぜなら、

この寛解状態になり

夫のびっくりするほどのマイペースさや

私の昔からの不注意等、

改めてたくさん自分や夫の癖を

認めていく作業をずっとしてきて、


娘は良くも悪くも

私達夫婦のハイブリッドであると

認めざるをえないなと

思っているからです。


私のうつ病も、

あの時代にはまだわからなかった発達の凸凹、

個人差、それぞれの価値観などに対する

世間や

歪んだ認識にならざるを得なかった様な

幼少期を送った親からの

圧力や拒否、無理解により

発症したんだろうなと

思っています。


私自身も知識も認識もなく、

自分ばかりなんでこんななんだと

ずっと世の中とのズレに氣持ち悪さを感じつつ、

どうにか世の中に寄せなければと

自分をきちんと知る事を後回しにし

辻褄合わせをやり過ぎたから

発症するべくして発症したんだと思います。


むしろうつ病の後、

自分を知る作業をしている中で

娘が生まれ、

娘の特性に対応している過程で

私自身や夫の特性までも

色々氣づいて行く事になったんだろうと

思うのです。


娘の性質をジャッジしない様にする事が、

私のうつ病寛解を維持している氣が

しています。

自分の事も同じ様に

フラットに観察する方法を

知ったからです。

ジャッジはまだありますが、

とにかく自己卑下!

先ずは自己嫌悪!

みたいな恐怖感に支配された感覚では

無くなりました。


娘には本当に感謝しています。


私の場合は

うつ病の最中に娘が生まれていたら

きっと自分を責めて大変な事になっていたと

思います。


終わらせてから娘が来て、

次の段階に進んでいったのだろうと

感じています。


今は夫に対するモヤモヤや、

親に対する苦しい葛藤を

どうやって対処していくのか。


そこがなかなか先に進めない

分野です。

今のつかえになっています。


娘の事は

何故か楽観視しています。

大丈夫だという根拠のない

確信があります。

娘は大丈夫、自分で自分の人生を

どうにかしていくのだろうと

感じています。

そこまでのサポートを出来る範囲で

していくつもりです。





人それぞれの人生、

道ですれ違う人皆全員が、

それぞれの人生を歩んでいるんだ、

皆親がいて取り巻く人がいて。

こんなにたくさんの人それぞれに

全部違う人生が何十年も!

高校生くらいの時の

通学中にふと思い、

感動というか、圧倒された記憶があります。


それぞれの人から

どんな人生なのか聞いてみたいな。

どんな夢があるのかな。


そんな事をふわふわと

思っていた時期がありました。




私自身はどうなんだろう。

自分がどうしたいのか。

本当の自分はどんななのか。


このまま寛解状態を人生の最期まで

維持したいです。