前回の内容のその後についてです。



自己判断での断薬を

一年かけて少しずつ行った後、


投薬無しの通院を求めましたが

叶わず、

自分から治療を辞める決心をしました。


自分で決めたものの、

気分のおちこみやムラは続いていたので

希死念慮が現れた時は

非常に苦しく恐怖でいっぱいでした。


耐えられなくなり、

一度違う病院へ行きましたが、

やはり患者をあまり大切にしていない雰囲気、

同じ様な薬の処方。


だめだ、やっぱり自分で治さなくちゃ。

と、ひたすら耐えました。


やはり辛かったです。


違うのは副作用が無い事です。


素になった感覚が

無防備で怖さもありましたが、

これはもう嵐が過ぎるのを

待つしかないという感じでしのぎました。


うつ病の当初から

緩和策として冊子などで知っていた

呼吸法等を試したりもしました。


身体の部位に意識を集中して、

少しずつ位置をずらしていくやつです。


うつ病の最中は私には

全く効果はありませんでした。


こういうのは、

治りたいという気持ちがあった上で

始めて効果を発揮するんじゃないかな、

なんて感じます。


治りたいですよ、常に。

だけど治りたいよりも

治らないんじゃないか、

自分で自分をこ◯してしまうんじゃないか、

そんな恐怖感にどんどん落ちていく時期には

そんな事に集中出来ず、

『出来ない』

という事にフォーカスしてしまって

かえって焦りを生むだけでした。


もう、人のアドバイスは

『とにかく生きておいて。』

って事以外聞かなくて良いと思います。


よくスピリチュアルの捉え方に

『感情を感じきる』というのがありますが、

まさにそれをしないと、

ずっと中途半端に苦しいままだなって。

でも、そんな最中に他人に

言われるのもまた違うので、

本人がそう思えた場合の話です。

その時はただただ必死です。


もう苦しい!爆発してしまいたい!

と思ったのは

2012年の年末でした。

母の裏切りに怒りが大爆発しました。

母のお陰で大爆発できたのですが、

それもまた

『そういう悪役をかって出てくれたのよ。

 引き受けてくれた事に感謝しなくちゃ。』

みたいな上から目線のご意見に

出くわした事がありましたが、

これもまた大きなお世話で、

自発的にそう感じたらの話だと思います。


話はもどりますが、

そう、その呼吸法というやつも、

『今』に意識を向ける練習と

おなじ、というか

後にスピリチュアルの色々を知っていく中でも

出てきました。


うつ病患者のアドバイスの一部に

・自分を責めない

・好きな事をする

・やりたくないことはしない


みたいなのがあるのですが、

発達しょうがいやHSP、不登校でも

こんなアドバイスがありますし、

またこれも

『今』を感じる手段としての内容とも

同じでした。


うつ病の中で、ちらほら知る事になった

手段みたいなのは

その後知った自分軸で生きる方法と

ほとんど共通していました。


まさに他人軸で生きてきて

自分の中の違和感や苦しさを無視していたら

とうとうバグってしまい、

無理矢理起動修正の為に

うつ病になったんではないかな、

と感じました。


まだ通院を辞めたあたりでは

スピリチュアルの事は全く知らなかったのですが、

後に少しずつ自分の生き方の

歪みに気づいていきました。


そういう意味では、

私にはうつ病は必要でした。


うつ病になって良かった、

いい経験になった、なんて思いません。


よくこれも他人(ほとんど母ですが(笑))

に言われた時にモヤモヤするのですが、


それは本人が自発的に感じる事であり、

あのうつ病の辛さを知らない人には

言われたくありません。


うつ病の程度も人によって違いますし。


『全ての経験は自分で選んだ』

とか、『好きでやってる』という

スピリチュアルの先生いらっしゃいますが、

これも、大きなお世話だと思います。


大変な経験したんだね、

乗り越えてきたんだね。


で、いいじゃないか、と思います。


なんか、逆撫でる様なお節介なご意見を

受ける事が多かったうつ病体験でした。


その体験はそれぞれの体験であって、

たとえ魂が選んでそれをしていたとしても、

寄り添わない側からの意見なんか

本当に大きなお世話です。


うつ病は壮絶です。


外見からはわかりにくいから

大怪我している様に見えないですけど、

心は重症です。


責められる筋合いは全くないです。


今苦しんでいる方が

どうか少しでも楽に過ごせる時間が増える様

祈ります。


誰もうつ病にならずにすむ環境に

なりますように。