うつ病の記録の続きです。

もうしばらくお付き合い下さい。


数年間良くなるわけでもなく

辛い毎日が続いている中で。

ふと、うつ病脱出の機会が現れました。


きっかけは2012年の春頃でした。

36歳になろうという頃。


ふいに『こどもを産まなくちゃ。』

と、何だかわかりませんが

急に思い出したかのように

こどもを産みたいと思ったんです。


年齢的な事もあったと思いますが、

どちらかと言うと

『思い出した』という感覚でした。


その時の状況では

とても妊娠することはもちろん、

子育てが出来る心身のスタミナが

ありませんでした。

何よりまずは薬はやめなくちゃいけないと

考えていました。


『こどもが欲しい。』

じゃなくて、

『産まなきゃいけない、産みたい。』

という感じでした。


まずは精神科の先生に相談して、

薬を最低限にしながら

妊娠する事は可能か確認しました。 

(この時は最初通っていたのとは

違う病院に変えていました。)


精神科の先生は大丈夫との事でしたが、

不妊治療の病院では、

向精神薬を服用しているうちは

妊娠させられないと、門前払いでした。


(何故不妊治療かと言うと、

年齢的な事もあり

排卵やホルモン分泌についての

検査をまずはしたかったのです。)


でもその時の私の受け止め方や考え方が

うつ病になってから初めて前向きだったんです。


よし、ならば断薬しよう。

うつ病を違う手段で治そう。

凄い決心でした。


精神科の先生に

減らしたいとお願いしても、

新しい薬を出したり

診断名まで変わったりして、

断薬には程遠い感じでした。


でも頭は冴え始めていたんです。

意思って凄いなって、

今は思います。

当時は必死で気づきませんでした。


そうは言ってもまだ消えそうな意思で、

相変わらず副作用は凄いし、

寝たきりの日も変わらずありました。


そこで自分で断薬する事にしました。

先生には内緒で。


全ての種類の薬を1/4に割り、

ひと月か半月に1片ずつ

減らして服用してみたんです。


次の月は違う薬を同じ様に減らして行きました。

徐々に徐々に、少しずつ。


どうにかしてうつから這い出さなければ。

悲壮感や希死念慮に支配されていない時は

うつに、薬に飲み込まれないよう

凄く意識して生活するようになっていきました。


やはり、思った通りでした。


感情の上がり下がりは

薬では抑えられていませんでした。


変わったのは、

頭の中にぽっかりと麻痺した部分がある様な

感覚が段々薄れてきた事と、

副作用による吐き気やだるさ、

頭痛の軽減でした。


一番どうにかしたい感情が

薬ではあまり変わってなかったんです。

辛い副作用に氣をとられる事で

ごまかしている状態でした。


処方や診断が間違っていた可能性もありますが、

精神科に通っている他の患者さんがたも

どう見ても様子がおかしいんです。

精神病でじゃないんじゃないか、

薬でこうなってるんじゃないか…。

私の感じた感覚だけの事ですが

物凄い違和感がありました。


ならばますます薬はいらないと思い、

1年かけてとうとう断薬まで辿り着きました。


精神科の先生は

私がずっと服用していると思っています。

言いませんでした。

先生が薬をどうしても出したい様に

感じていたからです。


そこで薬を断てると確認出来た私は、

受診時に

『薬を使わずに、通院を続けたい。』

とお願いしてみました。


先生は、薬無しの治療はしていない、

通院は薬を服用する事が大前提との事。


『では、通院をやめたいです。』

と伝えたら

『どうぞご自由に。』と

投槍な態度で言われました。

本性はこっちか、と思いました。

華やかで笑顔が素敵な先生でした。

信じたい気持ちがあったのですが、

やっぱりカモだったんだなぁ…。と。

ショックでした。


ですが、そんなところとやっと離れられる。

やっと自分がもとに戻る!と

思い直しました。



まだ続きます。