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発寒神社

発寒神社、發寒神社(はっさむじんじゃ)は、

北海道札幌市西区発寒11条3丁目1番33にある神社。

 

 

【祭神】

  • 豊受大神(とようけのおおかみ)
  • 倉稲御魂大神(うがのみたまのおおかみ)

 

【歴史】
1856年(安政3年)、幕府の命を受けた山岡精次郎らが開拓に訪れ、稲荷社を創建する。
1875年(明治8年)、屯田兵32戸が入植し発展を遂げる。
1898年(明治31年)12月、伊勢大神宮より豊受大神の分霊を受ける。
1899年(明治32年)3月、神社明細帳に記載される。
1903年(明治36年)1月、それまでの石狩国札幌郡発寒村稲荷神社から、発寒神社と改称する。
1932年(昭和7年)11月、二重墳墓が発掘される。

(wikipediaより引用)

 

「発寒移住記念碑」

1857年(安政4年)に旗本20人が入植したことを記念し建立。

 

「発寒屯田兵移住百年記念碑」

(明治9年)に屯田兵32戸が入植したことを記念し建立。

 

手水舎は凍結防止で使用不可です。

 

社務所は鳥居をくぐり本殿左手前にあります。

こちらで御朱印をいただきます。

 

 

発寒神社、發寒神社(はっさむじんじゃ)は、

北海道札幌市西区発寒11条3丁目1番33

 

 

明治以前: 1857(安政4) 幕府旗本の武士20名とその従者が辺境の警備と開墾のために入地 幕臣山岡精次郎、永田休蔵ら20名の武士と従者が発寒に移住したそうです。

これから激動の時代を迎え11年後に徳川幕府は滅亡しました。
 

歴史にタラレバは禁物ですが、もし榎本武明ら幕府の前頭により蝦夷共和国が存続していたらこの地はどうなっていたのか?

想像すると、ロマンを感じますね。

 

今日も読んで下さり、

ありがとうございました。