みなさん、ごきげんよう☯
出雲大社を出発し、海岸沿いに北へ進んで次の神社を訪れました
ひのみさき
日御碕神社
伊勢・大和からの最北西端に位置
夏至に太陽が真裏に沈む、別名「日沉(ひしずみ)の宮」
"沈"ではなく中国語の"沉"なのが謎です🤔
時刻は16時半
日没にはまだ早い時刻
曇天に白い太陽が
姿をあらわにされました
日御碕神社には2つの本社があります
1つめはアマテラスを祀り、
奥宮である「経島(ふみしま)」を背に建てられている「日沉宮」
日が沈む宮とは、マイナス呪詛的ネーミングなので、ご祭神がアマテラスなのは意外でしたが、
伊勢から見て、日が沈む処ということのようです
※翌日撮影した経島
神代の昔、日御碕神社宮司家の先祖がこの経島で御神託を受け、島上に天照大御神を祀られたそうです
その後勅命により現社地に御遷座したのが日沉宮
日出る所、伊勢国大神宮は日本の昼を守り、
日沈む所、出雲国日御碕神社は日本の夜を護る、というコンセプトになっているようです
そして2つめのお宮が
スサノオを祀った
「神(かむ)の宮」です
三つ柏のご神紋が見えます
大社に続いて、ここにもスサノオが登場
アマテラスから神託を授けられ、経島に祀ったという日御碕神社宮司家は、
スサノオの子孫なのだそうです
柏の葉を飛ばして落ちた所にスサノオの魂が鎮まったという伝説の場所が、隠ヶ丘という古墳のような山にあり、
神の宮はそこから御遷座されたそうです
つまりここ日御碕神社「神の宮」は、スサノオのお墓、
全国スサノオ関係神社総本山というべき場所、ということであれば
江戸時代に建立された、国の重要文化財でもある、朱塗りの総権現造りの立派な社殿、また出雲国内で杵築大社に次ぐ広大な社領も納得できます
また日御碕神社は出雲大社の祖神(おやがみ)さまとして崇敬を集めていおり、
国を譲らされ、出雲に閉じ込められたのはオオクニヌシでありますが
そのバックにあったスサノオであるともいえる
いえ、むしろ様々な名前に変えられて全国に祀られるスサノオこそ
真に隠された神であるのではないのか、、🤔
海原を治めたと古事記にある、
海洋民族スサノオ
この旅では思いがけずスサノオの存在感の大きさを知り、
私にとって驚きの正体が明かされるのでした(⑦くらいでご紹介できるかと思います)
上の「神の宮」から、「日沉宮」を見下ろしたところ
この配置にも、ただならぬ隠された理由が色々あるのでしょう
アマテラスとスサノオは姉弟という設定ですが、
二人がスサノオの真意を占うために行った誓約(うけい)で神々が生まれたというのは
実は結婚を表しているのだそうです
「日沉宮」にはアマテラスの子とされる男神五柱の天津神
「神の宮」には宗像三女神が相殿(同じ社殿に2柱以上の神を合わせて祭ること)として祀られています
宗像三女神は古事記ではスサノオの、日本書紀ではアマテラスの子として書かれており
また、日御碕神社宮司家の祖神は男神五柱の天穂日命(あめのほひのみこと)であり、
スサノオの子孫でもあるということは
誓約で生まれた八柱は
スサノオ×アマテラス
出雲×伊勢
亀×鶴の統合カップルの子ということになります
「鶴」とは、アマテラスをはじめとする天津神、天孫系
「亀」とは、スサノオ・二ギハヤヒを代表とする国津神、出雲系
出雲と伊勢、スサノオとアマテラスの対立という構図は
後にイメージづけられたものであり
当時のお二人は協力体制を作り平和に統治を進めていこうとしたのでありましょうし
もしかしたら純粋に恋におちたのかもしれません
例えば経島の上で神懸るアマテラスにフォーリンラヴ、とか😆
島の上で愛し合って子をもうけたとか😆😆
妄想が止まりません〜
アマテラス男神説もありますから、古事記の世界は本当に難解です、、
しかし前方後円墳の形に象徴される鶴亀連合勢力は、あったのだろうなと、
寺社や古墳を巡る中、肌で感じてきました
夕刻が迫り、この日は宿へ
神西湖(じんざいこ)のほとりに建つ元国民宿舎
湖畔の宿くにびき
2017年にリニューアルされてきれいになり、グランピングも楽しめるそうです
食事もおいしく、丁寧なおもてなしをしていただき、
お値段以上なのでは〜😆
夜明けの神西湖
「神西」は「神妻」
オオクニヌシがスサノオの試練の後娶った、須世理姫(スセリビメ)に由来するそうです
良いお天気に恵まれた2日目✨
湖面を吹く風は、龍神様が遊んでいる様のよう
朝食後、再び日御碕を訪れます
出雲神話旅⑥につづく、、
お読みいただきありがとうございます😊