みなさん、ごきげんよう🌷


先日、徳島県鳴門市里浦清少納言と出会い

彼女の墓所といわれる天塚堂を訪れました


その日ブリを食べに行こうと予定していた香川県東かがわ市引田
白鳥神社のおみくじ
引田はハマチの養殖が盛んです


引田町安戸池(あどいけ)にも、
清少納言が夫と別れて京を離れ、晩年を過ごしたという安戸清少納言宮があるらしく、

改めて行ってみました




ワーサン亭

ハマチの刺し身やカツが美味しいと評判のお店

この日は残念ながら、定休日でした💦



ワーサンとは、安戸池でハマチ養殖を始めた野網和三郎氏の名前からきています


野網和三郎氏の銅像と説明看板
海水魚の養殖成功は世界初!だったそうです🏅

ワーサン亭の裏からの安戸池の眺め

もともとここは内湾でしたが、海流に運ばれた土砂によってふさがれて池のような形になりました



ハマチ達は池の中を自由に泳いで育ちます

向こう岸に何やらお城のような建物と小屋が見えます
(お城は引田城址)

この小屋こそが、清少納言のために建てられた「安戸清少納言宮」

清少納言は教養のある女性だったことから、女人救済のお宮として あがめられ、安産、子育て、婦人病にご利益があるとされています


昭和感そのもののお宮ですが、女性達の手によって綺麗に維持管理されている感じでした

安戸清少納言宮由来記


 嵐で里浦の浜(現在の鳴門市)に漂着した清少納言は、そこの住人に金品を略奪されたうえ、瀕死の状態で沖に流されましたその後、里浦に赤目という眼病が流行り、視力を失う者も出たため、 塚を建てて清少納言の御霊を鎮めたそうです。これが里浦の清少納言のあま塚として現存しています。


里浦の浜から沖に流された清少納言は仮死状態ながらも引田の橙(はりのき)に流れ着き、里人に手厚く看病されて小康を得ました が、程なく「ああ、安堵した」と感謝の言葉を残して安らかに息を引き取ったそうです。 

 清少納言が里人に残した「安堵」という感謝の言葉が現在の安戸 (あど)という地名になったと伝えられています。

(中略)

清少納言を看取った里人は浜辺に祠を立て、菩堤を弔いました。 それが清少納言宮の始まりだと伝えられています。


しかし、この清少納言は枕草子の作者(清原元輔の娘・平安時代) ではなく、別人(藤原忠光の娘・鎌倉時代)だとする説もあります。いずれにしても10~7世紀近くも昔の話ですから、真偽のほどは定かではありません


〜以外略


 平成25年八朔奉納東かがわ歴史研究会TADANO




え?

父親が役人をしていたことのある

土地で、たまに志度寺や金毘羅さんへ参拝するなどしてわりと優雅に余生を過ごしたのではないの??



調べてみると、どうも私が見逃した説明看板があり、


都落ちした清少納言は地元の漁師にはずかしめを受け、それを苦にして海へ身を投じたといわれている。その供養のために「あま塚」を建てた、、


と書かれていたようで💦
さらにひどい💦💦

身を投げた後、引田の安戸池へ流れついたということになります

海辺で暴行されるというのは浦島太郎の亀姫にも通じるところがあるような、、


清少納言の晩年は、よくわかっておらず、全国各地に伝説が残っているようです

清少納言の墓所といわれるところは、全国に6か所



そのうちの2つが、四国の東の海辺に残っているようです



道路をはさんでお宮の前(横?)には
波の無い静かな海と山々の風景が広がります
かなり透明感があるきれいな海水で、鏡の様に空を映して光っていました

こんなに静かで自然の美しいところで、地元の人々に親切にしてもらって最後を過ごせられたのであればよかったですが
別人との説もあり、

謎は深まるばかり、、🤔



近くには有名な国の天然記念物
「ランプロファイア岩脈」があり、訪ねてみました
ホワイトタイガーがマスコットのしろとり動物園
動物達とたくさん触れあえるので子ども達に人気です

↑こんな感じ😆


白と黒の美しい縞々

岩肌が崩れ、足下には白黒の岩がゴロゴロしています
白い岩は花崗岩
ツブツブザラザラです

黒い岩がランプロファイア(煌斑岩こうはんがん・黒雲母入り)で、すべすべしています

花崗岩に煌斑岩が貫入して、美しい縞模様の層になっているのですが



四国は全体が花崗岩でできており、それゆえ高いエネルギー場となっていて、
感じやすい人は四国に入ると変化が分かるのだそうです

そんな高エネルギーの霊場や信仰に惹かれて、静御前や清少納言も四国にやって来たのかもしれませんね


お読みいただきありがとうございます😊