みなさん、ごきげんよう🌷

 

高松市飯田町岩田神社孔雀ふじを観た後、


鳴門市里浦町観音寺の牡丹祭り清少納言の像に出会い


彼女の墓所と言われる天塚堂(あまづかどう)を訪れました




天塚堂から西に歩いて5分くらいのところに、

立派な楠の杜に囲まれた神社があり、参拝してみました


鳴門市里浦町十二神社

観音寺からは10分ほど歩くと、鎮守の杜と鳥居が見えてきます
右側に見える道路をもう少し行って、右へ曲がると天塚堂があります

2つある鳥居のうち、境内中央の方から参拝

楠木が生茂る境内
葉っぱが落ちるのを防ぐため、手水に網戸?がかけられているほど


可愛らしい牡丹桜が咲いていました

珍しい緑色の注連縄です
調べても、意味などはわかりませんでした💦
天井の放射線状デザインに目をひかれました
写真に撮れなかったのですが、ご神紋は十字を強調した菊菱のようです
ご祭神 

応神天皇、土御門天皇、菅原道真公、萱野姫命、大己貴命、丹生都姫命、水波女命 他


仁和三年(887)豊前宇佐八幡より勧請

明治四十年近在の十二の神社を合併して十二神社と改称


(残りの三神のお名前が気になるところ🤔)


徳島には「十二」が名前につく神社が多く、ユダヤの失われた12氏族と関係があると言われています



もう一つの鳥居の先には

参道の右手、建物の裏に色々ありました

(あまのい)

425年、允恭(いんきょう)天皇は淡路で狩猟を行われたが、獲物が全く捕れなかったので占ったところ、赤石の海底にある真珠を採って島神に祭るならば獲物を得さそうということであった。
ところが水深が109m以上あり、海底に至る者がなかった。
ただひとり阿波国長邑(ながむら)蛋夫男狭磯(あまのおさし)が海底に至り大あわびを獲たが、浮上するとともに息絶えた。
この大あわびの中には桃の種子ほどの真珠があり、これを島神に祭るとたくさんの獲物が捕れた。
天皇は男の死をあわれみ墓を造って厚く葬らせたと「日本書記」に記されている。
長邑は今の里浦で、この附近が(あま)屋敷であり、この古井戸が(あまのい)だと伝えられている。

蜑井碑は天保五年(1834)板野郡撫養林崎の近藤利兵衛という篤志家がこの蜑井がわからなくなることを憂いて建てた。

人が落ちないようにパレットが乗せられていました

ここが日本書紀に登場する有名な伝説のアマ!"蜑の男狹磯"の居住地だったということですね

男狹磯知らなんだ〜😅


蜑の男狹磯の墓


男狹磯の伝説や歌、絵などが掲示されおり、日本書紀ご登場の英雄の墓所だけあって、地元の方々に大切にされてきたのが伝わります



アワビの貝殻が供えられていましたが、

古くから魔物や病気を撃退する魔除けとして、軒先にアワビを吊るす風習もあるそうですね

私もいっぱい集めてます😆💕



ただ、男狹磯が男性なのか女性なのかいまいちはっきりしないのですね💦
「男狹磯」は男の字があっていかにも男性っぽいですが、"男を挟む磯"と読むと女性になります😆
アワビも女性の隠喩っぽい

この絵だけ見ますと、志度寺の海女の玉取りにしか見えません
伝説の定型のひとつで、何か意味があるのかもしれませんね…
何かはわからんけど😅



今回の訪問を機に、徳島との御縁が繋がったような気がしました

元々、古代史に興味をもったのは15年以上も前に知った、邪馬台国四国説であり、
古事記の世界は、世界の中心は阿波だった、ということからでしたので、、


今年のこれからの展開が楽しみになってきました!


お読みいただきます、ありがとうございます😊
次回「引田の清少納言伝説」につづく、、