Think different.


Apple社が掲げるプロモーションのキャッチコピー。

この言葉の意味は「発想を変える」、「ものの見方を変える」、「固定概念をなくして新たな発想でコンピュータを使う」ということ。キャンペーンでは、「世界を変えようとした人たち」としてアインシュタインやピカソ、ガンジーなどを挙げている。

このコピーを発表以後、新型PowerBook G3、iMac、新型Power Macintosh G3といった製品が登場した。







六波羅蜜の意味(六波羅蜜とは)


六波羅蜜とは、この世にあって、仏の境涯に到るために行う修行のことを言います。


波羅蜜というのは、悟りの世界に到るという意味です。

六波羅蜜は以下の六つの修行を行います。


般若経では六波羅蜜を成就させることが到彼岸となるとしていて、華厳経では、六波羅蜜に4種が加わり十波羅蜜となっています。



六波羅蜜の実際


布施(ふせ)……親切

見返りを求めず、財施・無畏施・法施を分け与えることを言います。お布施や寄付を行うことです。


持戒(じかい)……言行一致

戒律を守ることをさします。在家の場合、五戒や八戒を守り、出家した場合は、律によって規定されている禁戒を守ることをいいます。


忍辱(にんにく)……忍耐

どんな辱めを受けても耐え忍ぶということです。


精進(しょうじん)……努力

不断の努力をして誠心誠意尽くすことです。


禅定(ぜんじょう)……反省

自分を冷静に見ることです。


智慧(ちえ)……修

これらの五つの波羅蜜を実行し、中道を歩み、般若波羅蜜を成就させることを言います。


龍樹の『宝行王正論』によれば、「布施」と「持戒」は利他、「忍辱」と「精進」は自利、「禅定」と「智慧」は解脱についての修行であるとしています。






中村 天風(なかむら てんぷう):

1876年7月30日 - 1968年12月1日


日本の実業家、思想家、ヨーガ行者、自己啓発講演家。

玄洋社社員、大日本帝国陸軍諜報員。

孫文の友人であり、中華民国最高顧問の称号も持った。

天風会を創始し心身統一法を広めた。

本名は三郎(さぶろう)。


学生時代に喧嘩で相手を刺殺、日清日露戦争当時は軍事探偵として活動する。

戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受け渡米し、世界を遍歴。

インドでのヨーガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。

日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。

その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助氏など日本を代表する実業家も含まれている。

現在は公益財団法人天風会(中村天風財団)が著作等を管理している。




稲盛 和夫(いなもり かずお)

1932年昭和7年)1月21日

日本実業家

京セラ第二電電(現・KDDI創業者

公益財団法人稲盛財団理事長。

「盛和塾」塾長

日本航空名誉会長


六つの精進

謙虚にして驕らず

中国の古典に「ただ謙のみ福を受く」という言葉があります。人は謙虚にして初めて幸福を受けることができるという意味です。

世間では、他人を押しのけてでも、という強引な人が成功すると思われがちですが、決してそうではありません。成功する人とは、内に燃えるような情熱や闘魂を持っていながら、謙虚で控えめな人物です。このような謙虚さを持って生きることが大切なのです。

しかし、そのような人でも、成功し、高い地位につくと、謙虚さを忘れてしまい、傲慢になることがあります。若い頃は、謙虚に努力をしていた人が、知らず知らずのうちに慢心し、人生を踏み誤ることさえあるのです。

「謙虚にして驕らず」。このことを、深く心に刻んで、生きていくことが必要です。


生きていることに感謝する

人は自分一人では生きていけません。空気、水、食料、また家族や職場の人たち、さらには社会など、自分を取り巻くあらゆるものに支えられて生きているのです。

そう考えれば、自然に感謝の心が出てくるはずです。不幸続きであったり、不健康であったりする場合は「感謝をしなさい」と言われても、無理かもしれません。それでも生きていることに対して感謝することが大切です。

感謝の心が生まれてくれば、自然と幸せが感じられるようになってきます。生かされていることに感謝し、幸せを感じる心によって、人生を豊かで潤いのあるものに変えていくことができるのです。

いたずらに不平不満を持って生きるのではなく、今あることに素直に感謝する。その感謝の心を「ありがとう」という言葉や笑顔で周囲の人たちに伝える。そのことが、自分だけでなく、周りの人たちの心も和ませ、幸せな気持ちにしてくれるのです。


感性的な悩みをしない

人生では、誰でも失敗をしますし、間違いを起こします。しかし、そうした過失を繰り返しながら人は成長していくのですから、失敗をしても悔やみ続ける必要はありません。

「覆水盆に返らず」という言葉がありますように、一度こぼれた水は元に戻りません。起こってしまったことを、いつまでも思い悩んでいても何の役にも立ちません。それどころか心の病のもとになり、人生を不幸なものにしてしまいます。

自分のどこが悪かったのかは反省しなければなりませんが、十分に反省した後は、くよくよせずに新しい道を歩み始めることが大切です。

済んだことに対して、いつまでも悩み、心労を重ねるのではなく、理性で考え、新たな行動に移るべきです。そうすることが、すばらしい人生を切り拓いていくのです。


誰にも負けない努力をする

より充実した人生を生きていこうとするならば、人一倍努力を払い、仕事に一生懸命打ち込まなければなりません。

自然界に生きている動植物はみな、必死に生きています。我々人間もまた、まじめに、一生懸命に働くということが、生をうけたものとしての最低の務めであろうと思います。

そのためには、まず仕事を好きになることが大切です。好きであればこそ仕事に没頭することができます。またよりよいものを目指そうという気持ちも生まれ、自然に創意工夫をするようになります。

仕事に惚れ込み、夢中になり、人並み以上の努力をする。この誰にも負けない努力がすばらしい結果をもたらしてくれるのです。


反省のある毎日を送る

一日を終えた後、その日を静かに振り返り、反省をする習慣を持ちましょう。

例えば、その日の行いが、「人に不愉快な思いをさせなかったか」「不親切ではなかったか」「傲慢ではなかったか」「卑怯な振る舞いはなかったか」「利己的な言動はなかったか」と振り返り、人として正しいことを行えたか問いかけてみます。

もし自分の行動や発言に反省すべき点があれば、改めなければなりません。

反省のある毎日を送ることは、人格を向上させ、人間性を高めていくことにつながります。日々の反省が、自分の悪い心を抑え、よい心を伸ばしてくれるからです。

常に進歩向上できる人は、「反省のある毎日」を送っている人なのです。


善行、利他行を積む

中国には「積善の家に余慶あり」という言葉があります。これは善行を積んできた家には、よい報いがあるということです。

世の中には因果応報の法則があり、善きことを思い、善きことを実行すれば、運命をよき方向へ変えることができます。当然、仕事もよい方向へ進めていくことができるのです。

善きこととは、人に優しくあれ、正直であれ、誠実であれ、謙虚であれ、などという人として最も基本的な価値観です。

昔から「情けは人のためならず」と言われていますように、善きことを積み重ねていくことで、私たちの人生もよりよいものとなっていくのです。





松下 幸之助(まつした こうのすけ)

1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日


日本の実業家、発明家、著述家。

位階は正三位。

パナソニックホールディングス(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。


異名は「経営の神様」。


その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。


さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。



安岡正篤 (やすおかまさひろ) :

大阪市生まれ。

1922年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。

大学卒業後に文部省に入省するも、半年で辞めてしまう。

その後、1923年に「東洋思想研究所」を設立、当時の大正デモクラシーに対して伝統的日本主義を主張した。

同年より拓殖大学東洋思想講座講師となる。


1932年には「日本主義に基づいた国政改革を目指す」として、近衛文麿らとともに「国維会」を設立し、官僚を育成するようになる。

同団体から廣田弘毅(第32代内閣総理大臣)会員が入閣したことで世間の注目も集まったが、一方で政界の黒幕的な見方も強まったため、2年後には解散に追い込まれる。


1945年8月、天皇陛下の「終戦の詔書」がラジオで放送されたが、この「詔書」に最終的に目を通し、手を入れたのは安岡と言われている。


昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。






『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう、梵: Prajñā-pāramitā-hṛdaya、 プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は、大乗仏教に分類される般若経典群の思想の核心を簡潔に説いた仏典。
『般若心経』(はんにゃしんぎょう)は略称。

仏教の全経典の中でも最も短いもののひとつ。
古くから日本の在家信者に愛唱される経典であり、複数の宗派において読誦経典の一つとして広く用いられている。

【呼称】
日本で最も広く知られている玄奘三蔵訳の正式な経題名は『般若波羅蜜多心経』(大正新脩大蔵経収録)であるが、一般的には『般若心経』と略称で呼ばれている。

『般若心経』をさらに省略して『心経』(しんぎょう)と呼ぶ場合もある。

「般若波羅蜜多心経」との正式名は、「般若」が、事物や道理を見抜く深い智慧を意味する語(paññā、パンニャー)の音写、「波羅蜜多」(波羅蜜)が、悟り・彼岸に至るための行為を意味する語(Pāramitā、 パーラミター)の音写、「心経」が重要な教え(経)を意味するため、「深い智慧によって悟りに至るための重要な教え」という経題名と理解される。

また、大乗仏教においては、悟りに至るための善行を6つ掲げて、6つの波羅蜜(波羅蜜多)=六波羅蜜と呼ぶが、このうち最も重要な「波羅蜜」が「般若波羅蜜」(智慧の波羅蜜)とされている。

そのため、「般若波羅蜜多心経」との題名は、「六波羅蜜の中で、最も重要な『智慧の波羅蜜』について説く教え」を自称するものと捉えることもできる。

日本の仏教の各宗派によっては、単に「般若心経」「般若波羅蜜多心経」と呼ぶのではなく、冒頭に「仏説」(仏(釈迦)の説いた教え)や「摩訶」(偉大な)の接頭辞をつけて、『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)や『摩訶般若波羅蜜多心経』(まかはんにゃはらみったしんぎょう)と表記することもある。
なお、現存する最古の漢訳文とされる弘福寺(長安)の『集王聖教序碑』に彫られたものにおいては、冒頭(題名部分)は『般若波羅蜜多心経』と記載されているが、末尾(結びに再度題名を記す部分)では『般若多心経』(はんにゃたしんぎょう)と略されている。


【概要】
初期仏教(阿含経)においては、全ての苦(生老病死など)の原因は自己への執着に伴う煩悩であるという因果律で世界を認識する。

その上で、苦から解放されるためには、そのような因果の流れを逆にたどって原因を絶つこと、つまり、煩悩、更にいえば自己そのものへの執着を絶って涅槃に至ることが必要であるとし、その具体的方法として、自己を含む世の全てが実体のない「空」であること(諸行無常・諸法無我)を正しく認識・体得すべく、出家・修行(八正道)による自力救済を説く。
一方、般若心経(で要約される般若経)は、この初期仏教の思想を更に乗り越える形で、自己を構成する五蘊(色・受・想・行・識)や世界を構成する十八界、また、十二縁起や四諦といった因果律(これを前提とした自力救済)など、初期仏教が分析的に到達した諸概念などさえも、実は「空」なのであるという、より超然とした世界観に立つ。

そして、そのような世界であればこそ大いなる力を発揮する真言(マントラ)による救済を説く教えとなっており、出家によらない救済を肯定する大乗仏教としての特質が表れている。

末尾の真言(マントラ)(漢訳は、サンスクリットの原語を音写)については、その位置づけや意味について、仏教学者の渡辺照宏説、中村元説、宮坂宥洪説など、様々な解釈が示されてきたが定説を見るには至っていない。

般若心経の中で真言部分を特に重視する考え方として、例えば、福井文雅は、般若心経の核心部は心呪の効能を説く後半部と真言自体であると主張しているし、佐保田鶴治も同様の観点から、般若心経は密教のお経として、全部を繰り返す必要はなく、最後の真言だけを繰り返せばよいとしている。





四諦八正道

「四諦八正道(したいはっしょうどう)」釈尊の真理です。

 

「四諦」とは、苦諦(くたい)・集諦(じったい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)の4つをいい、諦とは真理(悟り)という意味です。

 

●苦諦とは、人生は苦であるという真理です。四苦とか八苦にわかれます。よく「四苦八苦する」というのはここが語源です。

○四苦とは、生老病死です。

 ・生…生まれる苦しみ 

 ・老…老いる苦しみ

 ・病…病む苦しみ

 ・死…死ぬ苦しみ


○八苦とは、愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五蘊盛苦(ごおんじょうく)この4つに生老病死を合わせた8つの苦しみです

 ・愛別離苦…愛する人と別れなければならない苦しみ

 ・怨憎会苦…嫌な相手と合わなければならない苦しみ

 ・求不得苦…ほしいモノが得られない苦しみ

 ・五蘊盛苦…肉体と精神が生み出す苦しみ

 

●集諦とは、人生の苦しみ(苦諦)の原因に関する真理です。

「貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛のよだつこととは自身から生ずる。諸々の妄想は自身から生じて心を放つ(法句経)」

人間は、自分の不幸や苦しみを社会や他人の責任にすることがあります。しかし、苦しみの原因を考えてみると自分自身にあるということに気付きます。

様々な煩悩や執着が渇愛(喉が渇いて水を求めるような激しい貪りの心)となって苦しみの原因をつくっているのです。それを集諦といいます。

 

●滅諦とは、苦の滅した状態。すなわち涅槃(覚り)の境地

釈尊はあらゆる苦脳や束縛から離れた状態を滅諦としてとらえています。

 

●道諦とは、苦を滅する方法の真理です。

「八正道(はっしょうどう)」といい苦を滅するため8つの実践方法を説いています。


1、  正見(しょうけん)…正しい見解、正しい信仰

世の中、人生において正しい智慧と見解を備えること。


2、  正思惟(しょうしゆい)…正しい考え方、正しい決意・意志

善悪を正しく見極めれる力。きちんと頭で整理し正しい決断をする事。


3、  正語(しょうご)…正しい言語行為

美しい言葉を使う事です。嘘をついたり、悪口をいわない。


4、  正業(しょうごう)…正しい行い

正しい行動をすること。例えば、立ち居振る舞い、社会奉仕など


5、  正命(しょうみょう)…正しい生活方法

規則正しく生活すること。暴飲暴食は避け健康に気をつけること。


6、  正精進(しょうしょうじん)…正しい努力

今まで起こっていない悪は絶対に起こさないように努力する

すでに起こっている悪はこれをなくすように努力する

今まで起こっていない善はこれを起こすように努力する

すでに起こっている善はこれを更に増大させるように努力する


7、  正念(しょうねん)…正しい意識、正しい注意

正しい考えの元、常に自分を見失うことなく周りに振り回されることのないように常に意識すること。


8、  正定(しょうじょう)…正しい精神統一

正しく坐禅を組み、身体と呼吸と心を落ち着かせることが大切。

 

 この八正道は、相互に密接に関わっており、統合することで苦を滅し悟りの境地に到ることができるのです。



大悟徹底(たいごてってい) とは


仏教で、一切の迷いをたちきって、悟りにも滞らないこと。悟りきって絶対の真理と一体になること。


[活用] 

―する。


[解説] 

「大悟」は「だいご」ともいい、迷いを打ち破り、真の知見を開くこと。「徹底」も悟りきるの意。





  剛毅      木訥         仁に近し

(ごうき ぼくとつ じんに ちかし)


「剛毅」は、意志が強固で何事にも屈しないこと。

「木訥」は、かざりけがなく話下手なことから、意思がしっかりしていて、無骨で飾りけのないのは、道徳の理想である 仁に近い。