霞
東京はいい街だけど、交通するのが本当に大変で十分覚悟してほしいと、或る時恩師がおっしゃったことを憶えている。留学生は大抵都心から随分離れた所に住むことになっていて、通学が一時間以上かかることも少なくはないという。ニューヨークから来た僕は通勤ラッシュを体験したこともあり、長時間の乗車であれば文庫本さえあれば問題はないと言い張ったが、先生がそれに対し「本を読むような余裕なんかない」と僕を注意した。当時はあの先生をいくら尊敬していたとはいえども、本が読めない状況が想像できなくてその言葉を信じられなかった。大体近眼である僕は、眼鏡を外したら眉毛がページに触れるか触れないかというぐらいのところに本を持って読んでしまう傾向がある。そのような人は、車両がどれほど混んでいたところで、読めないことはないだろうと思った。
しかし今朝初めて新しい住まいから学校に赴き、僕の考えが甘かったことを痛いほど思い知らされた。中央線のオレンジ色の列車が駅に滑り込み、車両の中を覗いてみると、恐怖を帯びた表情の不適多数の人々が僕を見返していた。ドアに押し付けられているサラリーマンやOLが、お願いだから乗るなよ!というような表情で僕を訴えた。しかし乗らない訳にも行かず、仕方なく自分の利益の為に乗客全員の苦痛を更に増してしまった。本を読むどころか身体を動かすようなスペースすらなかった。列車が新宿の周辺に近づく度に乗客が増え、背広を着ている大人しそうな人間でも突然押しかけたり、無理に乗ろうとしたりし、数人の呻き声と舌打ちが聞こえてきた。いつの間にかベージュ色の上着を着ている男性と密着に寄せられ、彼の背中に僕の顎、眼鏡のフレームが彼の襟に刺さっている状態になった。変な姿勢で僕の背筋が痛くなったが、本当にどうしようもなかった。それはニューヨークでは考えられない光景だった。ニューヨークではこんな非常識はきっと通用しないのだ。電車が満員になると、無理に乗ろうとするような奴はドア越しに乗客の威嚇的な視線に耐えられず身を引くか、或いは乗ってから乗客の怒鳴りに追い出される。そのような強い批判に晒されても乗るような頑固な人間は数少ない。数少ないから助かる。満員だから次の列車を待つニューヨーカーは多いが、そうする東京人をあまり見かけない。いるかもしれないが、とにかくそうする人は少な過ぎる。顎を中年の男性の背中に突っ込みながらそう考えた。
しかしつくづく考えると仕方がないとも思う。ラッシュ時間の列車は途切れなく次々と駅に到着しては出発し、また同じように超満員の列車が来る。いくら待っても次の列車は同じほど混んでいるから、無理に乗るしかない。列車の数を増やすこともできないし、他の交通機関は全部揃っているのにこれほどの乗客は常にいるし、人々が朝仕事に赴くのであれば上述したような光景は改善する気配はない。
ところが、前の住まいの近くの駅に、「ズレ勤」を呼びかけていた広告を見かけたことがある。ズレ勤とはラッシュ時間以外の時間帯に通勤することである。勿論遅刻するわけには行かないから、これはやはり早く起きてもっと早く電車に乗る羽目になるしかないであろう。「みんなのために」と広告に大きな文字が並べてあった。確かにそのように考えると、夜明け前に家を出て、駅のホームで寒くて歯をガチガチ鳴らしながら待つサラリーマンの姿がいかにも献身的に見えるが、本が読めるばかりか、席にも座れるほど空いている列車を想像してみると、「みんな」はどうでもいいというような気分になる。とにかく座りたいのだ。「すみません」の代わりに「降ります」というような人間に押されたくないのだ。単純で恣意的な欲求だが、ズレ勤もやってみてもいいなと思った。