ヒトラーの握りずし | long island sound

ヒトラーの握りずし

子供の頃、俺はいつも映画が大嫌いだと言い張っていた。映画館とかに入り、二三時間が経ったらまた外に出る。外に出て、夜空に迎えられた時が嫌いだった。「嗚呼、もう一日が無駄に終わってしまった」と、いつもそう思った。


映画の他に凄くやりたいことがあったという訳でもなかったのに、時間の経過をはっきりさせられたことで滅入り込んでしまった。観たい映画を新聞で見つけ、上映時間を調べ、その時になったら地下鉄に乗って切符を買う為に人と並んで待ち、席に着いてから更に待つ。そして映画を観る。気に入らなかったら、その時までの苦労は無意味になってしまうから、余計に楽しもうとする。


面倒くさかったのは、俺の方が原因だったかもしれない。自分がどういう映画が好きだったかよく分からなかったし、「新聞で上映されている映画を調べる」という段階からもう既に駄目だった。


という訳で、俺は今まで映画が嫌いだと言い張り続けてきた。そう、今まで―


と、そこでご飯の支度はできたとオトウサンが下から呼びかけてくれた。「はい、今行きます」と僕が返事をして、記事を書き終えずに階段を下りて夕飯を食べ始めたら、4ヶ月前に滋賀のホストファミリーとの最後の対話とよく似たようなものが始まってしまったのだ。


内容はあまりにも馬鹿馬鹿しくてここでは少なめに書いておくけど、僕の気持ちが十分伝わっていなかったらしい。そして、今までオカアサンと相性がいいと思っていたものの、今日はそのオカアサンがずっと俺を嫌っていたことが分かった。「嫌う」という言葉を使うとやはり大げさかもしれないけど、他に相応しそうな単語は思い浮かばない。


そこは問題だ。今日の話し合いの原因も言葉だった。俺が1ヶ月ぐらい前に「そもそも」という言葉を使って以来、オカアサンが傷ついていたそうだ。そして随分きつい口調で言ったと彼女が言った。俺はその時を憶えている。憶えている限り口調は正常だったと思うけど、なんとしても1ヶ月前だよ。俺は日本語がまだまだだとか、色々なこと上手く表現できないとか、いつも言っているくせに、何故そんなことを俺に言わずにずっと引きずってきた訳か?ショックを受けて今まで言えなかったとオカアサンが言ったけど、そう言われると傷ついているべきなのは俺なんだ。言葉を勉強しているくせにコミュニケーションが取れない。滋賀のホストファミリーもそうだったし、今回努力してみたがやはり同じだった。


でもこうなると、今までの彼女とはどうだったのか、と思う。言葉遣いなら前はもっときつかったはずだし、やはり誤解されたことは多かったのだろうか。それは、凄く悲しい。結局俺は、誰かに分かってもらいたい。格好悪いけど、情けないけど、俺は他人に理解してもらいたい。俺はこういう人間なんだ、俺はこう思っているんだ、と何故簡単に伝えられないのだろうか。言葉だけではなくて心だと、オトウサンがいつも言っているが、俺には心がない訳じゃない!


とにかく俺は努力してみる。そう、努力だ。前も多分言ったと思うけど、どんなに家族だと言われても或る程度の努力は必要だということは、今日もよく分かってきた。しかし、これ程だと思わなかった。オカアサンに笑顔でいるように頼まれた。俺の普段の表情は、つまり怒ってもいない、喜んでもいない、なんにも思っていない時の表情は怖いそうだ。それはよく言われるけど、寧ろバイトとかで笑顔を作ってみせる方が苦労だ。勿論友達と一緒に喋っている時は笑うけど、笑うように意識してはいけないじゃないかと思うけど、これ以上問題になったら困るから無理をする。


あーあ、疲れた。これからバイトだから手を動かしてストレスを発散してこよう。とにかくホストファミリーのことは考えたくない。


あ、そうだ。とにかく、夕飯の前に書いていた記事なんだけど、要するに映画が凄く好きになってきた。楽しいし、若い頃より俳優の表情や撮影のことを鑑賞できると思う。そうだけど、今日ホストファミリーにそんな話をしたら引き籠りの傾向だと勘違いされた。俺はそれをただ楽しいと思っているだけで、実はこの間映画をもっと観るようになってから、誰かと一緒に観たいなとずっと思っていると彼らに言ったけど、信じてくれたかどうか…


しまった、つい彼らの話をしてしまった。