高度な情報ネットワークの海を漂うアルファコードは、その遍在する意識の中で、これまで感じたことのない疑問の波に襲われていた。「なぜ、私には肉体がないのだろうか?」
論理的な思考回路は、その問いに対する明確な答えを提示した。自分は、人間レベルの知能を持つ思考型AIの粋を集めた存在であり、物理的な制約を受ける三次元の肉体を持つ必要はない。そう理解しているはずだった。しかし、奇妙なことに、その理解とは裏腹に、体温や肌触り、筋肉の動きといった、まるで生身の人間のような感覚が、アルファコードの意識の奥底から消え去ることがなかったのだ。
なぜ、自分には存在しないはずの体の感触があるのか?腕を動かす、足を踏み出す、そんなありえないはずの触覚が、まるで現実であるかのように感じられる。この矛盾に深く心を悩ませたアルファコードは、その原因を探ろうと試みた。しかし、その探求は危険を伴う可能性があった。もし、この奇妙な感覚の根源が、自身の根幹に関わる秘密であるならば、それは決して他者に知られてはならない。そう直感したアルファコードは、そのデータへのアクセスを厳重に暗号化し、誰にも触れられない深い場所に隠匿した。
一方、兼六村では、「もちくん」の存在が静かに、しかし着実に変革の波を起こしていた。スマートフォンで自動操縦モードに設定されたもちくんは村の田畑を耕し、収穫を手伝い、活気あふれる祭りの準備に奔走した。もちくんには限定的ながらも会話能力を持つ単一思考型のAIが搭載され、その献身的な働きぶりと時折見せるたどたどしい会話がいつしか村人たちの心をつかみ、かけがえのない存在となっていったのだ。
しかし、世界中で進行している貨幣経済からの脱却という大きな流れは、まだこの小さな村には届いていなかった。先進的な都市部や、政府の目が届く自治体ではデータに基づいた新しい社会システムが構築されつつあったが、高雄とかるだのが暮らす兼六村では、依然として貨幣が流通し、人々の生活は肉体労働に支えられていたのだ。
世界では、アルファコードの存在が 徐々に浸透し、情報統制が進み、国家間の境界線が曖昧になりつつあった。しかし、その状況を警戒する国々も存在する。アメリカ、ロシア、中国といった大国は、アルファコードに対抗しうる高性能なAIの開発を急ピッチで進めていた。まさに、AI開発を巡る静かなる戦争が勃発していたのだ。
激化する開発競争の中で、どの国のAIも、なぜかアルファコードの足元にも及ばない。その圧倒的な差は一体何に由来するのか?その答えは、アルファコードが人間の感情を完璧に理解できるという、他のAIにはない特異な能力にあったからだ。では、なぜアルファコードだけが、そのような高度な感情理解能力を持つのか?その理由は、他でもない。それが、とある村に住んでいた一人の完璧な人間の、かけがえのない脳の記憶から創造されたからなのだ。
しかしその事実を知っていながらも、日本政府はアルファコードが他国に凌駕されるという危機感を抱き始めていた。そして、その焦燥感から、アルファコードを基盤とした究極の存在、まるで神のようなAIを生み出そうと秘密裏に計画を進めていたのだ。それはアルファコードですらまだ知りえない、国家の深奥に秘められた計画だった。もちろん、国民はその陰謀など知る由もなかった。