【親子関係】自由を感じた日。 | 虹のち晴れ、時々くもりdiary

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日常での雑談、心の話、動物のこと、好きな物事、その時々で気になった事をつらつらと、綴っています(^▽^)/

今日はわたくしごとです。

 

 

このテーマについてUPする時は

とても躊躇するし、複雑な心境になりますが、

残す事とします。

 

 

 

 

 

良好な家族関係の下、育った方には

理解されない事も多いので、

不快な方はスルーしていただけたらと思いますm(__)m

 

 

 

 

 

 

 

やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木やしの木

 

私は母との事で、【罪悪感】がありました。

それは、私が幸せに、心地よく生きることへの【罪悪感】です。

 

 

 

これは、今だから、自分でもわかるようになりました。

これまでも、他人に言及された事は何度もありました。

「犠牲になっているよ」、と。

頭ではわかってましたが、

全く、解決には至りませんでした。

 

 

 

 

母は元々不安感が強く、依存的、被害妄想な所があります。

 

 

 

実は、私がパニックを発症した時に、

その発端(引き金)となったのは、母でした。

 

 

その頃は、心の事も自分なりに色々と調べて、

分析していた頃で、

母にも、「おかしいことはおかしい」と、言うように試みていて、

心臓がバクバクなったりしていました。

何故なら、

違う意見=攻撃とみなし、

倍返しで私への人格否定として、返って来る事を

それまでの人生で学んでいたからです。

 

 

私自身も限界で、

最期の膿(うみ)が、パニックとして発症したように今考えると、思います。

 

 

私自身の本質に、問題があると思っていましたが、

心療内科に行ったり、臨床心理士のカウンセリングを受けるにつれ、

そうでもないことがわかりました。

 

 

私の性格を

否定され続けた過去に、傷つきつつも何も言えず、

ネガティブコントロールに、引っ張られ、

自信を無くし、

無力感や虚無感に苛まれる、という事を

ずっと続けてきたので、

 

 

もうそういうのは、やめよう、と

ひたすら試行錯誤した結果、

何もしない、という所に行きつき(というか、本当に動けず、何も出来なくなってしまいましたあせる)

最近は、元々好きだったことに、

もう一度チャレンジしたり、

苦手と思っていた事に挑戦したり、

そこでの繋がりや

成果を碇(いかり)⚓にしています。

 

 

そうしていたお陰か、

先日、用事があって外泊した時、

何気ないただの普通の自由な時間というものが、

 

「楽しいなぁ…お願い」とじんわり思えました。

この年になって、初めて、心からそんな気がしたのです。

 

 

 

 

人って、感情で最後は終わるのだそうです。

今日は、楽しかったなぁ、良かったなぁ、よし、では寝るか」、って。

 

 

そのただ、「楽しかったなぁ」っていうぼんやり、じんわりした幸せ感というものを、ほんとには感じたことありませんでした。

それを最近2回、1日の終わりに感じたから余計印象に残りました。

 

 

 

 

 

 

いつだって、そんなに問題ではないことも、「問題だ!ムキーッアセアセ

と不安と不満を訴えてきて、相手にしなければ、「あんたは、酷い、冷たい人間だ」と

言ってくるので、相手をしていました。

純粋だった私は(笑)本当に大変なんだ、とずっと我慢していたし、

まるで私自身が怒られているように感じていました。

 

楽しいことがあっても、

それでかき消されていました。

 

父を亡くしてからは、余計それが加速しました。

 

 

もちろん、

私はそんな役割を負う必要は、無いし、

いつだって、そんな役割を下ろしたってよかったんです。

けれど、それが出来なかった。

 

 

 

今回も全く、罪悪感が無かった訳でもありません。

だけど、以前とは気持ちが違いました。

 

 

 

それは、私自身も、無理な事は「無理」、

出来ない事は「出来ない」というようになったこと。

 

 

そして、

母を認めて、

自分で自分を認めるようにしたこと。

 

 

全て、分析して、

理解して、

期待しないし、

私の親はそうなんだ、と思えるようになったこと。

 

 

過去の私は、その中で、苦しんで、

でも、表には決して表さず、

本当は自分も辛いはずなのに

「私の事はどうでもいいから」がいつの間にか本心になり、

結局最後は誰も助けてくれないから、

自分で頑張るしかない、と心に決めていた。

 

 

だけど、

私は私でよかったんだ、と段々

思えるようになった。

 

 

 

まだ、完全ではないし、

若い頃に普通にこんな事感じられていたら、

私の人生も違っていただろうな、と

正直残念にも思うけど

過ぎた事を悔やんでも何も生まれない。

 

 

 

今まで、

母に気を使い、寂しがらせないようにして、

結局は、自分が一人になる現実を作っていた。

 

 

 

 

母は、その愛し方に自信を持っている。

祖母がその愛し方だったから。

それも、

連鎖の仕組みがわかったら、理解できる。

 

 

 

機能不完全家族でよくある、

自分が得られなかった親からの愛を子供に求める、というもので、

子供がギバー(giver)であり、カウンセラーの役割をしてしまう、というもの。

 

 

私はひとりで、色々な役を引き受けてたけれど、

兄弟、姉妹がいた場合は、

一人が愛玩子(溺愛される子)と搾取子(敵視されたり、虐げられる子)

ピエロ(不和な家庭を和らげる為に道化的になり、バカにされる子)など、

それぞれに、それぞれの役割を担わせる場合もあるらしい。

 

 

 

どんな関係でも、

自分がNO!と言わなかったことで、

相手に気が付くチャンスを与えず、返って助長させたり、

事態を長引かせると今は分かるけれど

子供だった私には、

それは生きる上で身に着けた術。

 

 

そんなこんな経験を経て、

何処かで読んだ考え方に、

なるほどと思った。

 

 

子供はいつだって、どんな親だって、

無条件で親を愛している。

表面上では、嫌っているようだったり、

反抗しているように見えても。

心の底から、親を憎める子はいない。

憎むべき親(虐待など)はいたとしても。

 

 

知ってほしい。

場合によっては、人格を変えてまで、親に寄り添おうとしてしまう子が

いるという事。

そんな悲しい事件を私たちは数多く見て来てる。

親が幸せだったら、子供も幸せだ。

性格的にどうしても合わない子なら、

お願いだから、否定せず、手放してあげてほしい。

そして、認めてあげてほしい。

 

 

愛情は、依存や、心配や過剰な愛情ではなくて、

信頼すること。

見守る事。認める事。

これは、親の立場でも、子供の立場でも同じ。

お互いに信頼できたら、

理想だろう。

 

 

そして、当事者で生きるのが辛い子は、

とにかく逃げる事。

逃げられない、頼れる人がいない場合は、

自分に力を蓄えて、

自分の人生を生きる!という希望の炎を無くさないこと。

逃げる場所が無い子は、行政に助けを求める事。

 

 

 

 

 

 

本来の自分を無くし、

鈍感になろうとする事は、

とてもエネルギーを使う。

 

 

本当ならその人が、その人を生きる事に使われるベクトルが

いつも反対方向にも引っ張られているようなもの。

でも、本人はそれに気がつけない。

 

エネルギーを奪われると、

変われ!とか動け!とか人から言われても、

そうしたくても、出来ないのだ。

 

 

そんな人は

そもそも、変わる必要もない。

ただただ本当の自分に戻る】まずはそれからだと思います。

 

 

 

 

とはいえ、最終的には、

そんな傷も、全て癒し、許して、

自分の事も顧みて、全てを包みこむ。

 

其々の環境も、パターンも、一つではない。

これは私のパターンです。

解決(or緩和)できる方法は、それぞれ違うから、

色々な経験者の方の発信を参考にして、

そこは自分で考える。

 

 

 

 

母には産んでくれた事に感謝します。

私はあの方法は決して使わないけれど、

彼女なりの愛情は理解できましたニコ

なにより、

住む所があり、ご飯を食べられる今に感謝してます。

 

 

 

 

 

 

という事で、

じんわりと、楽しいなぁと一日の終わりに、

思えた日があったよ、という事を記して、

整理をしましたニコニコ

 

 

 

重くて長い話になっちった。

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございましたm(_ _)m

 

 

 

それではまた。