縄文信仰とか概念
日本人の食前の祈りは「いただきます」のようだ、
諏訪語り部の先生によれば
狩をした動物やら食物から命と栄養をいただきます、、である。
私のために絶った動植物の命をいただき、
自分の命と共に生きながらえ、
自分とその動物の命が長生きするように自然を調和管理する使命をもその時に受け継ぐ、
なんだか小難しい話のようだけど言われてみれば納得、
食事の前に手を合わせると粗末にするのも可哀想になってくる、
こんな感情を持ってるのも縄文人の思いの継承かも、
弥生の時代になると、、
縄文人に「天の人格を持った神」と人を融合する「何か?」を合わせた精神が弥生となる、
森羅万象の神と天の人格神が自分の中で一つになったのが弥生の概念とも言えるようだ、
神社の神主さんが天の神の代理となり、あるいは自分が天の神の代理となれるということ、
そうなると自分自身にも、自分以外の何もかにもその中に顕れてる神性を認識できる、
肌やら言語文化の違う人の中にも自分と同じ神性を見出し、、猿やら動物、自然の植物やら山や川の中からも神性や精霊を読み取れる、
だから良いとかは別として、
日本人の歌、、
雨の街を、、荒井由美
(途中で終わるけど、当時の情が濃いいのよ)
朝霧の雨の中から神性と妖精やら魔法の語りを読み解ける感性のゆみ姉さんの歌。
諏訪信仰の語り部の先生