手前で満たせてしまうものではまた沸々と不満が沸き上がってしまうものです。
ただ現代はコンテンツの量が膨大すぎるあまり、刹那的に満たされる現象を断続的に起こすことができます。
ただそれは満たされているわけではなく、『満たされたと思ったら満たされていなかった』ために次を探そうとしてしまうわけで、この一瞬の勘違いを繰り返されることにより欲求不満の牢獄に囚われてしまうことになってしまいます。
つまりは、実際に自分が満たされる本物を知らなければならないのです。
とは言え、その本物を追い求めようとはしているのかも知れません。外側の世界に。
しかしながらそんな精神状態にあって本物に果たして巡り会うことは可能なのか。
もしかしたら、ゴミ山の中から本物を懸命に探そうとしている可能性だってあるのです。
本物を見つけるには本物がありそうなところへと目を向けることが肝要です。
それでもそうすることが出来ないのであればそれは恐らく条件付けが無意識的に成されている可能性があります。
○○かつ△△といったような存在するのが困難なものを想像し求めているかもしれません。
そしてインターネットにはまさに空想上にあったありそうもないような物事・存在が何故かあたかも容易に存在し得てしまうのです。
それは真に自分を満たしているのか。
暗にインターネットをゴミ山と例えているわけではありません。ただ、その意識が本物を求める意思を持っているか、そして本物と引き合う自分もまた本物足り得ているのか。
気落ちしているときに何となく見るような情報と言うのは自分の状態を映すかのように中身がなかったりするものです。我々が思う以上に精神世界は繋がっているのかもしれません。
ふとこのようなことを思ったのは段々と自分の意識の誤魔化しが効かなくなってきたのです。ああ本物が欲しいんだなと。
だったらそのための回りくどく地味に見える積み重ねをしないといけないことも分かってくれるよね、そう自分に言いたい。
と言うわけで本物を求めるために自分もまた本物になりたい、そう思うこの頃です。
それでは、また。