これまでずっと周りに合わせて生きてきました。
そんなことをしても得なことは本当になくて。
それで好き勝手に生きている人の方が幸せそうなのを見て理不尽な思いをした過去もありました。
対人関係だと合わせることによる弊害はかなり顕著です。
例えば気になる人がいるとして。気に入られようと合わせるとしますよね。
それがうまくいっているときはいいのですが、問題は相手の「何か」が変わったときです。
それまで懸命に合わせていた自分が合わなくなってしまうんですよね。
これほど徒労に感じることはないです。
まあとは言え人生の転機を通じて性格や考え方が変わるのは当然ですよね。
勿論逆もまた然りで、自分の内側に変化が生じたとき。
それでも以前からの知人は「それまでの自分」を私に対して投影してこようとします。
もう本当は変わっているのにも関わらず、そうされることへの違和感がだんだんと大きくなっていく、合わせてしまうと変わろうとする自分を妨げてしまう。
私の人間関係が途切れるほとんどの原因がそれで、もうその人と一緒にいると変われない!って思ってしまうんですよね。。。
まあそんなこんなで周りに合わせることがもう何というかトラウマになってしまい
それ以降誰とも関わらないようにしていました。
自分だけが自分を分かっていればそれでいい。
ただ、そうした人生が幸せかと言われればそうではなくて、何とも言えない閉塞感が纏っていたのもまた事実でした。
そんな状態からしばらくして、「マズローの欲求5段階説」に出会うことになりました。結構有名みたいなんですがそれまで知らなくて。これ見て衝撃を受けたのを今でも覚えています。
一応紹介しておきますと、欲求5段階説は欲求をピラミッドに見立て、5層に分割して、下から順に生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、そして自己実現欲求とあって、上の欲求を満たすには下の欲求を順に満たしていかないといけないといった説なのですが、特に自分の場合は承認欲求がなかったわけなんですね。
何なら斜に構えて当時の自分はインフルエンサーのことをあまり良く思っていなかったまであったわけですから。自分が自分を認めてさえいればいいと割と本気でそう思っていたわけです。
目から鱗でした。承認欲求がなければ自己実現に至れないという可能性に、そしてその事実に。
まあこの説で言いたいことを端的に言えば人ひとりではやれることに限界があるってことだと思うんですね。多くの注目を集めて多くの人を巻き込んだほうがより大きいことが実現できるわけですから、当たり前といえばそうですね。
そう思うと途端にインフルエンサーというものが途方もなく崇高な存在に思えてきたわけです。
実際彼らのほとんどは承認されるに終わらず、そこからムーブメントを起こしているわけですから承認されることというのは本来自己実現のための前段階でしかないということなのでしょう。
だからこれまでの生き方・考え方が自分を高めるにはそぐわないということにそこで気づかされることになりました。
でももう閉塞的な人生をあまりにも長く過ごしすぎた自分にとって、他者と関わるハードルがそもそも高くて。
ですから承認欲求を満たせないとなれば一段階下がって社会的欲求を満たす、まあそういうことなのだと思います。それが出来なければまた一段階下がっていく風に。
なので自分を大切にした上で、周りの人との関係も大切にし、考えに違いがあったとしても尊重していく。まずはそこから始めていきたいと思う今日この頃です。
それでは、また。