欲について | お役に立てれば幸いです

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前回か前々回に書いた通りとりあえずカラダは空いているので、前からやりたかった事をやってます。 
で、神社やお寺に参りまくっているわけですが、神仏を前にすると自分の欲深さが露わになりますな。
昨日は住吉大社とかに行って来たよ。
写真はめんどくさいし(インスタには載せてる)今回の論旨からは外れるので載せないけれど、御朱印帳が表の半ばぐらいだったのが裏に折り返して三つぐらいになるほど集まったよ。
それぐらい参ったよ。
さっきそれを眺めながら感じた事をツラツラと書きます。

日頃から僕は自分の事をあんまり物欲や金銭欲のない人間だと思ってます。
実際その通りで、モノはたまに服買ったりする程度で他にはそんなに欲しいとは思わないし、お金だってその日生きられればいいぐらいでもっとたくさん儲けようとは思わない。
でも、いざ神社やお寺に参ると、神様仏様に色んなお願いをしてしまう。
お金が欲しい、モノが欲しい、人が欲しい。
浅ましいなーって。
それって結局、自分で何とかするのが嫌だから神頼みをしてるわけで、ラクして儲けようと、濡れ手で粟を得ようとしてるんですよ。
手が乾いてるから神仏に「俺の手を濡らせてよ」って、さらには「粟を俺の前に持って来てよ」って言うてるんですよ。
神様からすれば「いやいや、それちょっと勝手過ぎるんじゃない?」って事ですよね。
これは罪深い。

でも生きていくには色んな局面で欲は必要。
だからどこからがいわゆる「欲張り」になるのかの基準を自ら引く事が重要になってくるんです。

此度の寺社仏閣巡礼の旅(笑)でハッキリ分かったのが、「俺、無欲だとか何とか言うてるけど、全然無欲とちゃうやん」って事。
ほんまに様々なコトやモノやカネやヒトを、惨めなぐらい欲している。
めちゃくちゃかっこ悪い。
だけどそれが僕の本質なんです。
それに気付かせてもらえたってだけで、いや、知ってて目を背けてたけどちゃんと正面から見据えて受け入れられた事が大収穫。僕は満足してます。
御利益もこれ以上は要らないですよ。どうしてもくれるってんなら貰うけど。
なんてね。ちょっと意地張ってみた。
事ほど左様に、僕は罪深く浅ましい人間なのです。

もう僕は自分を無欲だとは言いません。欲しいモノは欲しいと言うし、欲しいヒトは獲得しようと思います。
お金だってたくさん欲しい。浴槽に札を溢れさせて美女を侍らせたい。
36年間の思考の蓄積を薄皮を一枚一枚剥がすがごとく変えていくのだから急には無理だろうし、徐々に、徐々に。

俺、服が欲しいんだよ。
俺、家が欲しいんだよ。
俺、金が欲しいんだよ。
俺、オマエが欲しいんだよ。

うん、オマエって誰だって話ですけどねぇ(笑)

どうも昔から僕は欲を言えないというか抑えて生きてきたような気がする。
そんな事言うたらかっこ悪いとか、自分は望んで得られるほど出来た人間じゃないとか、何とかかんとか。
欲張る事に嫌悪感すら抱いていたのですが、それじゃ貧乏クジ引くだけだ。現に、今まで損してばっかりだったような気がする。
ある意味、「ふてぶてしく」行動しなければ利用されるばかり。

知ってたけどね。分かってたけどね。
でも、そんなわけないって考えてた。性善説というかね。
でもきっと、人間って、性悪説なんだよ。
元々は悪しきモノなんだよ。
だからこそ、良い方向に向かおうとするんだよ。
しかし、いざって時は闇の部分のチカラを使わんといかんのだよ。



宗教家になろうかな(笑)
お布施は随時お待ちしております。


いやーしかし、お伊勢参りから始まった神仏ツアー。
有意義なものだった。
もちろん引き続きやっていきますよ。御朱印帳だって一冊で終わるつもりは毛頭ないです。
まだまだお会い出来ていない神様仏様が山ほどおられる。
御賽銭をキッチリ用意して(実は昨日また弾切れを起こした)、参って参って参りまくってやろうと思います。


〜今日の一言〜
「良いお参りでしたっ!」
by阿倍野神社の職員のおばちゃん。めちゃくちゃ爽やかだった。