指差しの話は尽きなくて④まできてしまった・・・。
すでに小学生の長男ですが、指差しノイローゼみたいになってたんですかね。
次男の同時期のことは全然覚えていないのに、当時のことはよく思い出せます。


最後は叙述の指差しのこと。共感の指差しって当時は人から聞いて言ってましたにっこり

自分と物との2項関係だった「あった!」と言う発見の指差しから、ママとかパパとかが入って3項関係になって「みてみてあったよ!」の指差しになっていくんですよね立ち上がる


いや、これは要求や応答と違って難しいなと思いました真顔

うちの子には難しいだろうなと言う意味と教えることも難しいだろうなと言う意味でです真顔



前提として目が合いにくい。つまり大人がどんなに見ていてもこちらに注目していないんですよね。
目が合って遊んでいて楽しいねとか、何かがあって悲しいねとかの感情を共有することもあまりない。
(共有できないだけで、楽しい悲しいの感情の起伏はすごかったけど)


また、当時勉強していく中で共同注意が子供の発達上大事であるとの講義を受けたのですが、それも微妙。


本人が指差ししてこちらを見てくれる叙述の指差しの前に、親が指差した方をみることができなかったのです。


「あ!ワンワンだ」「あ!アンパンマンだ」など散歩に連れ出したり、外で何かを見つけたときに沢山大人が指差しをしてそちらを見るよう促したりしましたが、当時は全く見ない。本当心折れました・・・真顔
運よくこちらに注目してくれていても、肝心の視線は指をさした方ではなく、指先を一生懸命睨んでいたりして真顔


通常だと、はじめは親の指差した方を見るようになり、その後は親が見ている方を見るようになっていくと思うのですが、
正直小学生になった今もその辺りの共感性はかなり薄い物を感じており、頭で指をさしている方を見ればいいんだと理解しているからやれるけれど、発達段階として子供が自然とできるような感じではないように思いますニコニコ


指差しは、叙述→要求→応答の順に発達していくみたいですが、
うちの子は要求→応答→叙述(今も頭では理解していてやれるみたいな状況)でできるようになりました。


今では他と違っていてもそれで子供が困っていなければOKと思えるようになりましたが、
当時は相当病んでましたね・・・といううちの子の指差しの話でしたうさぎのぬいぐるみ


続く


指差しを促すために使用した本など



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