3泊4日の東京、千葉、神奈川への旅。


行く事への迷いは無かったと言えば嘘になります。


そして、行ったことを公表する事の迷い。


行った事は内緒にしておこうかと思っていました。

これでもし、コロナになったものなら、ほれみろと後ろ指を刺されることになるのだろうな、と思ったから。


どこに出掛けるのも個人の判断。

SNSに載せる義務など無い。


そして結果、Facebookに載せました。


どうして行ったのか。

答えは「行きたかったから」

家族のこと、仕事のこと、色々考えましたが「行きたい」という気持ちがある以上、どんな理由も自分の気持ちを抑え、我慢することにしかならない。

その我慢が「大人としての常識」なのかもしれないけれど、そんな大人で有る事は私自身は望んでいないこと。バカと言われようがシンプルに。行きたいから行く事にした、それだけです。


Facebookとは、私にとって何なのかというと、日記アルバムなのです。

アルバムの整理も出来なかった私に、Facebookは画期的でした。

「1年前の今日」「2年前の今日」なんて振り返る機能もあって、あの頃はあんな事があったなぁ、と懐かしく思う。

だからこちらもシンプルに。
私のタイムラインに載せておきたいから投稿する。

そこにコメントをもらえると「そうなのよー!それでさー」と話が膨らみ、自分自身の感情の整理がつく。「いいね」をしてもらえると、共感してもらえたようで思い出がよりよい思い出に磨き上げられる。


バカだと言われることより、後ろ指を刺されることより、私自身の思いを抑える事はできなかったし、したく無かった。


楽しく生きる、それが私のモットー。


迷った時は、原点に戻り原点で考え判断をする。


もちろん、職業柄そうもいかない方もいるだろう。
それはきっと、その人にとってその人のお仕事は私よりもずっと大切に思っていて、私とは違う存在にお仕事があるのだと思う。
そんな風に思えるお仕事に就いていること自体が、素敵なことだと思う。

家族の事を思う人もそうだ。
家族の年齢やタイミングにもよるけれど、本当に大切なものが何か。
私の場合は、万一コロナにかかり家族に感染させた場合のことや、私が東京方面に行く事に家族が感じる感情と、私が東京行きを断念した場合の私の感情と、それによる家族への影響を秤にかけた。
その人それぞれによって違って当たり前で、人様の事を誰もどうこう言う資格なんか無い。


自己中と呼ばれる事は否定しない。
むしろもっと、ある意味自己中に生きられたらと思う。