今回はシナリオの考察です。

 

 

子供の頃にハマり、

現在も再アニメ化でハマった、

ダイの大冒険。

 

そのスピンオフ漫画である、

『勇者アバンと獄炎の魔王』

の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回もネタバレを含む内容であるため、

これから読む予定のある方はスルーしてください。

 

 

 

 

 

それでは、参ります。

 

 

 

 

先日、

勇者アバンと獄炎の魔王、単行本10巻が発売されました。

 

内容は、

本編で何度も描かれてきた、

アバン対バルトス

と、

アバン対ハドラー

の、2連戦。

 

 

単行本表紙ソデで、

作画担当の芝田氏が言及しているとおり、

本編で描かれているのは僅か10ページほど。

それを、当スピンオフでは180ページに大増量。

18倍濃く描いている、と語っていますが、

 

 

……

100倍くらい濃かったです。

 

いちファンとして、満足のできでした。

 

 

 

 

話の流れも、結末も、

何もかも分かっているはずなのに、

それでも思わずうるっと来てしまったのは、

作者の熱量はもちろんですが、

 

「悪役の描き方」

 

そして、

 

「読者の思い出補正の組み込み方」

 

この2点がとても上手かったからだと思うのです。

 

 

 

 

まず、悪役の描き方。

悪ではなく「悪役」であることがミソです。

 

もう少し突っ込んで言うと、

主人公と対立する敵役ですね。

 

 

正義の反対は悪ではなく別の正義である

という言葉もあるとおり、

物語の主人公と対立していれば、

それで敵役としては成立です。

 

 

ダイの大冒険本編では、

このハドラーとバルトスの話は、

そのときの主人公が対峙していた、

「ヒュンケルという悪役に

 深みを持たせるための彩り」

として使われていたんですよね。

 

だからサラッと語る程度にとどめてあったし、

それ以上深く語る必要もありませんでした。

 

 

 

しかし、今回はこのバルトスがメインです。

 

そして本作におけるバルトスは、

「魔王軍最強の前評判のとおりの強さと、その理由」

「ハドラーに対する忠誠心と、その揺らぎ」

「ヒュンケルの父親としての愛情と、

 自身が魔族、アンデッドであることの負い目」

そして、

「敵であるアバンに対する戦士としての敬意」

そのどれもがジックリと描かれていました。

 

もし描かれているのがハドラー軍側だったら、

完全に主人公として振舞っていてもおかしくないだろう。

そう思うくらい良い男です。

 

 

ここまで描くからこそ、

これほどの敵から敬意を払われる勇者アバン

としての強さが際立つのでしょうね。

 

 

 

そして、

この一戦を受けてのハドラー戦。

 

バルトスとの戦いを引っ張って、

悪の魔王らしい魔王として描くのかと思いきや、

人間であるアバンを自分と同じ強者と認め、

死の恐怖を乗り越えて戦う、

後の超魔ハドラーに繋がるような形で描かれました。

 

 

このハドラーに対して、

仲間から託された願いや、

世界中の人たちの希望を背負って立ち上がる勇者

として応えることで、アバンは真の勇者になった

という流れで締めるのが、

王道的であり、

多くの読者が望んでいた姿なのでしょう。

 

 

 

さて、

これを受けての「読者の思い出補正」です。

 

実際、このダイの大冒険は、

多くのジャンプ漫画の例にもれず、

読者から多くの考察をされてきました。

 

それは逆に見れば、

「本編連載中は面白さ重視で物語の整合性や背景を

 ある程度無視してゴリ押ししてきた弊害」

とも言えるのですが、

ゴリ押しできるだけの力と勢いがあったからこそ、

30年以上経った今も、

多くの読者から愛される名作になったとも

考えることもできます。

 

 

 

その考察の多くが、

このハドラー戦に向けて今までの9巻分の

ありとあらゆるところに散りばめられているんです。

 

読者側からすると、

「あそこで打っていた布石はここのためだよね」

と予想して読んでいたのが、

そのとおりに回収されて

「やっぱりな!」

というカタルシスを得られるわけです。

 

これは色々な小説や映画で使われる手法ですね。

 

 

 

そして何より、

「アバンとハドラーの戦いは、劇的なものであって欲しい」

という読者の期待というか願いというか、

そういうものに十分に応えてくれたような

そんな印象もあります。

 

描写的に見るなら、

後のダイとバランの戦いかな?

と思うくらいド派手に描かれていて、

冷静に見ると盛り過ぎだろうと思うのですが、

これも逆に効果的に活きていました。

 

 

主観描写という表現が正確かは分かりませんが、

「傍目から見ていたらそれほどでもないことでも、

 その当事者から見ればとんでもなく大変なこと」

を、

当事者の印象そのままに描くことで、

受け手に対して強いイメージを与える演出のことで、

ドラマチックな表現の基本のひとつです。

 

 

この主観描写が、

ハドラーの側からの主観がキッチリ描かれているのが、

とても大きかったと思います。

 

分かりやすい言い方をすると、

敵側にも感情移入できるような背景が描かれていた

ということでしょうか。

 

 

ハドラーがなぜ魔王と呼ばれる存在になったのか。

そこを描いて、そのうえで

それを阻む存在としての主人公アバンを描く。

 

敵側の視点から見るからこそ、

主人公側の強さが際立ち、

そんな強い主人公が最後に戦う相手が、

力がすべての薄っぺらい小悪党でいて欲しくない。

 

そんな読者の思いに、見事に応えきった。

 

 

勇者アバンと獄炎の魔王10巻は、

そういう1冊だったように思います。