先日、大学時代の後輩が主宰する劇団の

朗読公演を鑑賞してきました。

 

主役級の方は普通にキャラとして演じていますが、

ナレーション役というのでしょうか。

状況説明などを語る役は、

台本を持った状態での群読、輪読

という形で進行してゆき、

ついでに、主役級のキャラは歌ったりもしてました。

 

リーディングミュージカル

とのこと。

 

そういうジャンルもあるのですね。

 

 

 

 

 

率直に言って、

観劇後は、軽いジェラシーでした(笑)

 

分かっています。

後輩くんは10年以上前から

舞台にかかわっているのですから、

人脈、才能、積み上げてきたもの、

すべてにおいて筆者より上です。

 

なので、

そんな相手に嫉妬するなんて、

筋違い、お門違いもいいところ。

 

むしろ、先輩後輩など関係なく、

業界の先達として教えを請うたり、

彼の公演に積極的に足を運んだりすることのほうが、

何倍も有意義ですし、筋が通るというものです。

 

 

 

 

けどやはり、

羨ましいモノは羨ましいのです。

 

次のふーるばーどの公演を成功させてやるぞ

という対抗心というか、嫉妬心というか、

よく言えば情熱というのでしょうか、

そういう感情が滾ってしまったがゆえ、

終わった後の関係者面会のタイミングでは

素っ気ない感じになってしまいました。

 

この場を借りて、

後輩くん、すまんかった

と、お詫びしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

それにつけても思うのですが、

こういう嫉妬心や対抗意識というのは、

新しい一歩を踏み出すための力になりますね。

 

ネガティブな感情は

自分を傷付けるだけだから

持たないほうが良い

とはよく耳にしますが、

つい臆病になってしまいがちな筆者にとっては、

こういう感情も、ある種の着火剤として

有効なようです。

 

 

一方で、

この感情は文字通り着火剤として用いるだけに

留めなければいけないな、とも思います。

 

湿気った薪に火をつける一発目としては有効ですが、

その火が燃え続けるようにと、

新しい嫉妬や対抗心を投入し続けると、

いわゆる嫉妬で身を焦がしてしまうことになります。

 

このあたりの堕ちっぷりは、

漫画やアニメ、映画、ゲームなどの

エンタメ作品を見れば、山のように出てきますね。

 

それだけ私たち、

というか、人間社会において

ポピュラーな闇堕ち理由なのでしょう。

 

 

 

嫉妬しない、対抗心を燃やさない

のではなく、

「今、自分は誰々に嫉妬している」

と、認識すること。

 

何だったら

「羨ましい」「妬ましい」

と声に出してしまうこと。

 

それが案外、

自分自身を俯瞰して見るのに

役に立つのかもしれません。

 

 

日本は昔から、

言霊信仰、穢れ信仰といった思想があり、

「悪いことを口にするとそれが実現するから

 言わないようにしよう」

「そもそも悪いものは見ない、

 近づかないようにしよう」

という価値観が根強いのだろうと感じます。

 

 

決して悪いことではありませんが、

それが過ぎて精神的滅菌状態になり、

誰かに嫉妬する自分が許せなくなって

自罰意識に囚われてしまったり、

 

あるいは

 

自分自身の嫉妬心が認められなくて、

嫉妬する対象を逆に崇拝することで

心の平穏を保とうとしてしまったり、

 

そういったドツボに嵌ってしまうこともありますから、

適度に発散するのも大切です。

 

 

 

そういう意味で考えるなら、

酔っぱらって上司や同僚の愚痴を言いまくるのも、

ひとつの精神安定剤としての役割を

果たしているのかもしれませんね。

 

もっとも、それに付き合わされるほうは

迷惑以外の何ものでもありませんから、

愚痴るときは

「悪いんだけど、ちょっと聞いてくれる?」

とか、

「悪かったね、ここは少し多めに払うよ」

みたいな、

そういう気遣いもセットでできるよう、

心掛けたいものです。