前回の続きをアップしようと思ったのですが、

卒業生として考えることがあったので、

単発ブログとして残しておこうと思いました。

 

今回は極めて時事的な話なので、

ひとつの備忘録

あるいは、日記の延長として

捉えて頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

正直、このニュースをアップするのはどうかと思ったのですが、

下についている読者のコメント、

ヤフコメがなかなか良いと感じたので、

これを転載することにしました。

 

 

結論から申しますと、

筆者は当学園の卒業生です。

その卒業生の立場からこの記事に対して、

「大きなお世話だ」

と言いたくなります。

 

 

 

まず、清風は私立学校であり、

仏教を中心にした宗教による教育を実施する

と銘打っています。

 

入学時点で、それを了承した者が入学するのであり、

仮に校則違反、あるいは倫理にもとる行為をした学生には、

般若心経を写す、写経という罰則が与えられ、

それは今回のカンニングのみならず、

喫煙、飲酒、賭博などにも適応されるということは、

保護者も含めて納得している。

そういう建前になっています。

 

さらには、当学生は高校生です。

すなわち高等教育の場ですので、

就学義務は存在しません。

 

 

なので、もし仮に問題提起するのであれば、

その罰則指導に当たったという教師を調べ、

人格否定などは無かったか、

密室での体罰などは無かったか、

そういった点からの調査は大切だと思いますが、

上記Yahoo記事にあるような、

指導死

という、過労死のような新しい死因をこさえあげて、

あたかも教育のあり方そのものを疑問視するようなやり口は、

短絡的であると感じるのです。

 

 

もちろん、繰り返しになりますが、

記事内にもあるような、

学生に対する著しい人格否定があった場合は、

大いに問題視する必要があります。

 

しかし、自殺した学生はカンニングという不正行為をし、

それを発見されました。

試験期間開始前の朝礼で、

「カンニングは卑怯なことである」

という話をされていたのにもかかわらず、です。

 

 

 

なのに、当学生はカンニングをした。

ということは。

 

 

ここから逆算して、

いわゆる下衆の勘繰りをいたしますと、

家庭環境、あるいは当学生の精神性そのものに

何らかの問題点があったのではないか、

そういう側面からの調査も必要になってくるのではないか、

そう思うのです。

 

テストの成績だけで子供の良し悪しを判断するような

価値観で育ってきた可能性はないか。

そういった視点を持つのは、至極自然ではないでしょうか。

 

あるいは、当学生が生まれ持った資質による理由も

考えられるかもしれません。

生まれたとき、仏教的に言うと

前世からの積み重ねによって、

過剰な成果主義的価値観を先天的に持って

生まれてきた可能性もありますから、

家庭での教育に責任のすべてを追求するつもりはありません。

 

それと同じものとして、教育のあり方、

ましてや私立学校に対して教育方針を非難するというのは、

軽率であるように思うのです。

 

 

 

また、別の人物の投稿ですが、

罰則として写経が80枚も出たことを、

異常事態だと語るような

ネットのコメントも見かけましたが、

同時に自宅謹慎8日間も出ていたそうです。

つまり謹慎期間中、

「他のみんなが授業を受けているあいだ、

 自宅で反省用の写経をしていろ」

という罰なので、異常でもなんでもありません。

 

繰り返しになりますが、

校則違反などに対しては写経という罰を与えます

というのは、入学の時点で明示されています。

 

 

すなわち問うべきは、

「指導の際、それが適切なものであったか」

「当学生の日頃の生活態度、

 また家庭環境はどうであったか」

であり、学校教育のあり方そのものを

疑問視するような問いかけは、

ミスリードに繋がるのではないかと感じます。

 

 

 

自殺した学生が何を思ったかを問うことは、

もうできません。

しかしだからこそ、こういった事件は、

どちらか一方に過剰に肩入れすることなく、

あったこと、起きたこと、

それらをひとつずつ明らかにして、

然るべき処置をとって頂きたいと思う次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

ここまで書いておいて、ですが。

 

ここからは、卒業生だからこそ思うこと。

 

そして、今から20年以上前ですが、

当時の指導のあり方について、

思い出補正も含めて語ってみたいと思います。

 

 

ここから先は、

飲み会の席の与太話的なものになりますので、

興味の無い方はこの場で読了ください。

 

 

 

 

 

 

では参ります。

 

 

 

 

 

率直に言って、

指導体制が異様に厳しかったということは、

当時も思いました。

 

 

月曜から金曜、毎日朝礼があり、

そこで学生全員で般若心経を読む。

遅刻者は整列者と別の場所に並ばされて、

ちょっとした晒し者にされる。

 

月に1度の頭髪検査では基本丸刈りで、

希望者のみスポーツ刈り許可。

(いわゆる清風カット。多くの学生はこれ)

 

年間行事で、学校から高野山までの約100kmを

一昼夜30時間近くをかけて歩く、100キロ歩行。

運動部は基本参加で、文化部も希望者参加。

 

 

他にも、男子校ならではの遠慮の無さ、

みたいな雰囲気を良しとするような空気感は、

筆者にとっては苦労したなと感じることが

多かったように思います。

 

 

 

 

加えて、時代と言えばそれまでですが、

「体罰はダメだ」

というお達しが広まって間もない頃だったからでしょうか。

不良学生に対する指導に対して、

教師側もどうすれば良いのか戸惑っていたように

感じる節もありました。

 

 

何を隠そう、筆者も不良学生でした。

ですがそれは、喫煙や博打をするというものではなく、

学業態度のほうです。

 

やりたくない宿題はやらない。

「テストの点で赤点さえ取らなきゃ良いんでしょ?」

みたいな、そういう不良学生でした。

なので、みんなが提出している宿題なのに、

ひとりだけ出さない。

 

理由は、やりたくないから。

 

そりゃあ教師も怒りますよね。

今にして思い返せば、当然かもしれません。

 

ですが、そんな筆者に対して行われた指導は、

廊下に引っ張り出されて、大声で怒鳴られる

といったものでした。

 

教室の中で叱ると晒し者みたいになるかも

という教師なりの配慮だったのかもしれませんが、

廊下で怒鳴られたら他のクラスにも聞こえてしまいます。

結果、筆者はそこから暫く

……もしかしたら丸々1年はあったでしょうか。

『ろくに宿題もできないバカなヤツ』

みたいな、からかわれ方をされたような、

そんな記憶があります。

 

もちろん、からかわれていた本人ですから、

過剰に傷ついたり、

ちょっとしたことを大袈裟に捉えたりといった、

そういう補正もあるでしょうから、

そこはある程度、差し引いて考えます。

 

 

体罰を肯定するつもりは微塵もありませんが、

昔だったら、ゲンコツひとつで済んでいたことが、

それができないので怒鳴りつけた。

 

結果、より大勢の前で恥をかかせた。

こういう風になってしまったように思うのです。

 

 

 

他にも、筆者はよく忘れ物をする学生でした。

教科書はもちろん、

体育の授業があると分かっているのに

体操服を忘れる、みたいな、

そういうレベルの忘れ物をしました。

 

そうなると、別のクラスにいって

体操服を借りてくるのですが、

体操服には名前が書いてあります。

つまり、別の誰かの名前の書かれた服を着ている

というわけで、

それを体育の教師が、わざわざ名前を呼んで、

全員の前に引っ張り出すのです。

 

そして…………

当時の教師の名誉のためにも、

筆者自身の名誉のためにもどことはいいませんが、

体の部位を抓るという、

見せしめ的な恥さらしを罰則として与える。

そういう指導もされました。

 

 

 

 

殴りつけないかわりに、

恥をかかせることで痛みを与え、

それを指導とする。

 

そういう指導の仕方も、

あると言えばあるのでしょう。

幸いにも筆者は、そういったものに対して

一定の耐性がありました。

 

指導する立場として何らかの罰を与えないと

他の学生に示しがつかないだろう

という、変な理解がありました。

 

 

ですがそれは、

同学年の者から見れば、格好のネタでしょう。

 

それを理由に

……かどうかは定かではありませんが、

先述のとおり、

筆者はしょっちゅうからかわれました。

 

何度か反撃を試みたこともありますが、

以前のブログでも何度か書いたように、

筆者は「男らしくない」

ありていに言えばヒョロガリだったので、

勝率はほぼゼロです。

 

 

なので、

他の学生から見たら「面倒くさいヤツ」

と思われるくらいに、派手に泣きました。

 

次の授業が始まってもまだ泣いていたこともあります。

本当に面倒くさいですね。

実に男らしくないな、とも今になっては思います。

 

わざとではありません。

そのときは本当に、悔しくて悔しくて、

なぜ自分がこんなにも不当な目に遭うのか、

本当に理解できなかったのです。

 

 

ですが思い返してみれば、

それがいわゆる

「いじめた者への仕返し」

として機能していたのではないかと考えられますし、

ある意味で泣き喚くことで副交感神経を活性化させて、

心の平穏を保とうとしていたのかもしれません。

 

もしかしたら、

「お前ら教師の偉そうな指導が、

 こんなイジメを生み出してるんだぞ。

 学校側はそれを解決できないのか?」

みたいな考えも、無意識にあって、

それが派手に泣き喚くという行動に

繋がったのかもしれません。

 

もしこれが、泣かずにずっと我慢して

内に貯め込むタイプだったら、

別の結果になっていたのかもしれないと

思ったりもしています。

 

 

 

以上のことから考えるに、

 

元々、校則の厳しい学校だったため、

昔は体罰もひとつの指導として機能していた。

しかしそれを封印され、

教師側としても体罰無しの厳しさを、

どう表現すればいいのか分からなかった。

 

そこから20年以上の時を経て、

物理的なものではなく、

精神的にダメージを与えるような指導が確立し、

メンタル攻撃に近い指導方針が、

当たり前のように定着してしまったのではないか。

 

そういった攻撃に対して、

精神的な防衛策を持っていない学生が

へし折られてしまったのではないか

……と。

 

 

 

 

繰り返しになりますが、筆者はこの学生を、

可哀そうだと憐れんだりはしません。

 

カンニングという不正をしたのは事実ですし、

それを表現する言語として「卑怯者」は

適当なものだと思います。

 

しかし、その言葉を用いる際、どのように用いたか。

 

あの男子校特有の無遠慮な物言いで、

乱雑に扱わなかっただろうか。

 

 

 

そんな風に思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に。

 

この清風は、中高一貫の進学校なのですが、

自分は中学から入学していました。

そして、高校に上がる際、

内部進学テストというのを受けるのですが、

そこで不合格だった者は退学

……にはならず、

特別指導室に呼び出されて、

保護者も含めて厳重指導のうえ、

高校に進学するという、

そういうシステムでした。

 

先述のとおり、筆者は中学で

「勉強できないダメなヤツ」

という噂がついてまわっていたようですから、

高校進学内部テストでキッチリ合格点を取ったことに

随分と驚かれました。

上に挙げた記事ではありませんが、

カンニングでもしたんじゃないかと疑われたほどです。

 

そのとき、今まで筆者をバカだアホだと笑っていた者が、

特別指導室行きになっているのを見て、

「ざまぁみろ」

と内心、鼻で笑ったことを、この場を借りて謝罪いたします。

 

神仏に誓って、カンニングはしていません。

しかし、確かそのときの点数は、

合格ラインからプラス4点くらいの超ギリギリだったので、

筆者と彼らとの違いは、

出題運に恵まれたか否かだけだったと思います。

 

 

 

とりとめのない長文、

お目汚し失礼いたしました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。