少々煽情的なタイトルを付けましたが、
筆者にとって
これは看過できない問題である
と感じたので、
敢えて強いフレーズを使いました。
結論から書きます。
角川さんが
安易なトランスジェンダーに対する
問題提起を記した書籍の翻訳を
出版停止しました。
これは、
言論の暴力によって言論の自由が殺された
ということではないでしょうか。
まずは、
筆者の立場を明確にします。
筆者は、
日本神道と仏教を融合させた、
日本の伝統的価値観である
日本哲学
とも呼べる思想を中心に、
物事を考えます。
その思想を基盤として
人体にかかわる仕事をしており、
人体とは、
その人個人の所有物ではなく、
それそのものが
「独立した一個の生命体である」
と見なしております。
さらに、
その独立生命であるところの人体は、
偶然そこにできあがったものではなく、
日本哲学的に語るなら
「お天道さまから頂いたもの」
であり、
「できるだけ綺麗に使って、
いずれはお返しするもの」
であると考えます。
そして、
私たち人間は、
人体というごく近しい異なる意志と共に、
この世界という超広大な
オープンワールドMMORPGを
生きるというクエストを持っている
という価値観に基づいて、
筆者は日々を生きる者であります。
ゆえに、性転換とは、
言ってしまえば人間側の勝手な都合による、
人体という他者のアイデンティティへの攻撃です。
しかし、
私たちはこのMMORPGを生ききる
というクエストを持っています。
その過程で、もしどうしても
人体との折り合いがつかないという場合は、
慎重にお伺いを立てつつ、
性転換
という選択を取ることが許されています。
つまり性転換を、
一過性の感情の揺らぎや、
あるいは周囲からの影響、
自己主張のひとつのような形で
用いてはならないのです。
きちんと自分自身、
なにより自分と共にある人体と向き合い、
自分自身がより
自分らしくこの広大な世界で生き、
より多くの人、
あるいは社会に貢献していく
という目的のために、
人体への礼を尽くして行うべきものであります。
……と、
このような価値観、信念に基づき、
筆者は、
「性転換という選択肢はあってよい。
しかしそれを行うためには
一定の知識、知性、信仰などが必要であり、
なにより自分自身と、
自分と共にある『人体という生命』に対して
最大限の礼を尽くす必要がある。
ゆえに、
10代前半の少年少女に対して
安易な性転換を勧めたり、
自己主張の手段のようなものとして
教えることは、あってはならない」
という立場を取っています。
性転換やトランスジェンダーに
興味がある子がいて、
そういった子供たちを集めて
指導する場所があっても良い。
けれど公教育の場に持ち込んだり、
広告宣伝したりすることは
あってはならないと考えます。
あいにく、筆者は英語がそれほど得意ではなく、
原著にあたったわけではありませんが、
紹介文や、読者の意見を見るに、
今回、問題とされた書籍は、
性転換やトランスジェンダーそのものを
危険視するようなものではなく、
「安易な決定は取り返しのつかないことになる。
だから周囲の影響や、
特にSNSなどを用いた集団心理に
惑わされることなく、
自分にとって一番必要とされるものを
考えて欲しい」
という目的で書かれたものであると感じました。
もし間違っていたら、
そのときは大変申し訳ない。
そういった書籍を
発刊停止
すなわち
「多数の人間の目に触れさせない」
という決断を下した角川さんは、
今一度、
表現の自由、言論の自由とは何かを
考えて頂きたく思います。
そしてなにより、
一体どのような手段を用いたのか、
あるいは
どのような行為だったのかを
筆者は知る由もありませんが、
書籍発刊中止へと追い込んだ
何らかの勢力は、
自分たちのやったことは
私たち日本国民が等しく持っているはずの
「知る権利」
を破壊したということを、
知って欲しいと思います。
ウェブ上では、
「この書籍が広まることで、
性的少数者が生きづらくなってしまう」
「発刊こそが少数者への弾圧だ」
という意見も散見されます。
しかし、それは大きな間違いです。
大袈裟な例を挙げますが、
仮に、
戦前における旧日本軍が、
外国で非人道的な作戦を行っていた
と提起する者がいたとします。
そしてその者は、
その事実を記したとされる本を
発刊しようとします。
しかしそれが発刊されると、
旧日本軍の遺族の方々に対して、
過剰な迫害が起こるかもしれません。
なので、
罪の無い一市民を守るため、
旧日本軍関係者
および遺族は、
集団で出版社に対して
発刊中止を呼び掛けた
……
これは、立派な言論弾圧です。
本当の言論とは、
その書籍が発刊され、
その書籍を読んだ多くの読者が、
これは本当なのか、
それともデマなのか、
証拠と呼べるに値する資料はどの程度か、
著者の主義主張はどこか、
著者に何かしらの外部からの圧力はあったか否か
……
などなどなど。
こういった議論が起き、
仮に真実であったのならば、
当事者であるその外国に賠償し、
二度とそのような悲劇が起きないよう
未来への戒めとする。
仮に嘘であったのならば、
著者を含めた関係者全員を、
故人を冒涜した思想犯罪者として
厳しく罰する。
これが、本来あるべき
言論の自由の姿であると思うのです。
仮に、もし事実だったとして、
それを理由に遺族への迫害が起きたとしたら、
それは迫害をしたものが
「不当な暴力」を振るった者として、
等しく裁かれればよいのです。
今回のケースで言うならば、
トランスジェンダーであること
そのものを罪であるとして、
不当な迫害を行った者を厳しく罰する
ということです。
起きるかもしれない迫害の恐怖に怯え、
他者の知る権利そのものを
破壊してはいけないのです。
日本にどれだけの共産主義者や反日活動家がいて、
そこに活動資金を提供しているのが誰かなど、
そういった類のことは、この場では語りません。
それは恐らく
日本だけの問題では無いでしょうし、
当ブログは
「より多くの人が多様な視点や価値観を得て、
自分なりの健康を見つけられるようになること」
を目的としていますから、
やりすぎると自己不信、
社会不信へと繋がってしまいます。
しかし、今回の一件は
「私たちの持つ表現の自由や言論の自由は、
平等や博愛の名を借りた暴力によって
簡単に壊されてしまうものだ」
ということを、
端的に象徴する出来事であると感じたので、
少々過激なタイトルを付けて
残しておくことにしました。
角川さんが考えを変えてくださることを、
切に願います。
そして改めて、
自分自身の思想の立ち位置を明確にする
機会を得られたこと、
自由とは何か
表現とは何か
正義とは? 平等とは?
といったテーマについて
考えるきっかけを得られたことに、
感謝します。
最後に。
もし万が一、ですが。
これが、筆者も含めて
より多くの方に
今起きている問題を提起したい
と願って仕掛けられた
壮大なマーケティング、
あるいは炎上商法
のようなものだったら、
筆者はまんまとその手に乗ってしまった
ということになりますね。
そうであった場合は、
当ブログにて謝罪記事を掲載した後、
この記事は削除すると思います。
……
そのような質の悪い商法では無いことを、
切に祈ります。
