前回は神道における最高神、

天照大神が女性神であることから、

女性リーダー

戦うヒロイン

という点から、

自由な表現の基盤となった

背景を語ってみました。

 

 

そこに絡めて、

今回はその逆。

 

勇ましい女性を語ったのなら、

麗しく、たおやかな男性も

語らねばならないでしょう。

 

 

というわけで、

今回はいわゆるBL、

同性愛、

男装、女装文化を

受け入れてきた日本

という切り口で語ってみようと思います。

 

漫画、アニメ、ゲームの魅力は、

性差に囚われない多様な表現

が欠かせません。

 

その背景にも、

日本社会が育んだ

懐の深い思想性が息づいているのです。

 

 

 

一般に同性愛といったら、

男性同士の恋愛模様を描くことが

思い浮かぶのではないでしょうか。

 

それは恐らく、

日本初のBLが、

皇室に連なる血筋を持つ豪傑、

ヤマトタケル

であることが理由のひとつだと

思うのです。

 

前回も語りましたが、

トップに立つ者が率先して行うことは、

その下につく者たちも真似をするのです。

 

最高神であるアマテラスが、

稲作をして機織りをするのなら、

そこに仕える者たちも、

皆一様に働くのです。

 

そして、

天下の豪傑ヤマトタケルが

勝利のためになら女装やBLも厭わない

というのならば、

それに続く侍たちも、

衆道をたしなみ、美少年を愛でるのです。

 

 

……とは、さすがに言いすぎでしょうか。

 

 

ですが、

ヤマトタケルが女装したというのは

古事記にも日本書紀にも

書かれていることなので、

恐らくはそのとおりなのでしょう。

 

そしてその理由は、

クマソタケルという、

西の豪傑を倒すためです。

 

 

ヤマトタケルは第12代天皇、

景行天皇の皇子で、

たいへん武勇に優れていましたが

暴れ者だったといいます。

 

その乱暴ぶりに手を焼いた景行天皇は、

「西にクマソタケルという、

我らに従わない者がいるから倒してこい」

と命じるわけです。

 

かつて、乱暴が過ぎて高天原を追放され、

ヤマタノオロチを退治したスサノオに

通じるものを感じますね。

 

 

で、そのクマソタケルのもとに

辿り着いたヤマトタケルは、

何を思ったか女装して、

クマソタケルの屋敷に潜入します。

 

このときの様子は古事記、日本書紀で

微妙に描写が異なるのですが、

なかなかにセクシーな……

というか、

クマソタケルさん?

アンタ、めっちゃ触っとりゃしませんか?

ヤマトタケルが男だって気付いてますよね?

と思わずにはいられない描写があり、

なんやかんやあって油断したクマソタケルは、

ヤマトタケルに討たれるわけです。

 

 

さて、ここでひとつ疑問が生じます。

なぜヤマトタケルは女装したのでしょう。

 

手の付けられない暴れ者とまで言われた

ヤマトタケルですから、

その武勇を活かして堂々正面から殴り込んだ、

みたいなエピソードにしたほうが

よほど見栄えが良いのではないでしょうか。

 

それほどまでに

クマソタケルは強かった

ということなのでしょうか?

だから女装して懐に忍び込み、

いわゆる騙し討ちのような格好で

勝利したのでしょうか?

 

 

 

筆者は思うのです。

これこそ、侍の精神の基盤となる

「大将首のみをもって勝利とする」

「敵将を討ち取れば、その他の兵はお咎めなし」

の、戦いの作法だったのではないでしょうか。

 

ヤマトタケルの武勇があれば、

クマソタケルに正々堂々と

正面から勝負を挑むこともできた。

しかしそれでは、

クマソタケルに従う大勢の民を

戦いに巻き込んでしまう。

 

そこでヤマトタケルは女装して

屋敷に忍び込み、

大将であるクマソタケルのみを討って、

それをもって勝利としたのでは

ないでしょうか。

 

 

つまり女装したのは、

ヤマトタケルの趣味でも、

クマソタケルが男色家だったわけでもなく、

戦いの被害を最小限に抑えるための、

人道的行いだった。

 

ゆえに、

女装は恥ずかしいことでもなんでもなく、

勝利のためのひとつの手段であり、

侍にとっての表現のひとつとして、

定着したのではないか。

 

そんな風に思うのは、

些か深読みしすぎでしょうか。

 

 

 

 

いずれにせよ、ここで大切なことは

皇室に連なる高貴な血筋の者で、

しかも、手の付けられない暴れ者

とまで呼ばれた武勇の持ち主が、

戦いの手段として「女装」という

方法を用いているということです。

 

異性の格好をすることは穢れたこと、

それそのものが異常であり、

罪深いこととしてきた

西洋文化とは、明らかに異なります。

 

男装をして戦場に立ち、

誰よりも勇ましく振舞った

英雄ジャンヌダルクを

「男装した」という理由で

火あぶりにした価値観では、

ありえないことでしょう。

 

 

日本では男装や女装という、

異性の格好をすること。

そして、そこから同性愛に

発展することは、

罪深いことでも、穢れたことでもなく、

表現のひとつとして

受け入れられてきたと考えられます。

 

 

平安時代では、

寺院での僧とお稚児さんの同性愛。

 

戦国時代の、

侍と小姓の衆道。

 

そして、江戸時代においては

野郎歌舞伎の女形や、

陰間茶屋での男娼、

それをモチーフにした

東海道中膝栗毛や好色一代男などの

娯楽小説。

 

日本のBL文化は、

1000年ごときでは語れないほどに長く、

様々な形で表現されてきました。

 

 

もちろん、それに傾倒する者は、

変わり者扱いされてきたことは

疑うべくも無いでしょうし、

日本には同性愛者への差別など無かった

などと言うつもりはありません。

 

どんな時代であっても、

少数者は大なり小なりイジメられるものですし、

日陰者として世間から白い目で見られることは

洋の東西を問いません。

 

しかし、

異性の格好をした

同性を愛してしまった

ことを理由に、

仕事を失い、

生活を壊され、

命までもを奪われたなどという話は、

おおよそ聞いたことがありません。

 

 

 

もちろん、

このヤマトタケルの女装エピソードを

ひとつの儀礼であったとか、

あるいは宗教的なまじないであったとか、

そういう風に見ることもできますし、

そのような研究や考察もあります。

 

スサノオもヤマタノオロチを

退治しに出かけるとき、

オロチに食われそうになっていた

クシナダを櫛に変えて髪に差した

と言われています。

自分の最も身近なところにおいて

守ってやろうという心意気なのでしょうが、

なぜ櫛なのか。

しかも、懐に入れるでもなく、

なぜわざわざ髪に差したのか。

 

このことから、

女装をすることは女性の持つ

生命エネルギーを取り入れることで、

死に対して強くなるという

宗教儀式であると考察する

学説もあるようです。

 

確かに、西洋でも

幼い男の子に女の子の格好をさせて

病魔を払おうとする風習をもつ地域が

あるそうですし、

かのダグラス=マッカーサーも

少年時代には病にかからぬようにと

女の子の格好をしていた

という話もあるらしいです。

 

 

そういう点で見れば、

西洋と一口に言っても

様々な価値観があり、

子供の健康を祈って、

という願いから女装をさせることは

ある程度よしとされていたのでしょう。

 

そして、

同じような価値観が日本でもあった

と考えることも可能です。

 

 

しかし、大きく異なる点は、

スサノオもヤマトタケルも、

大の大人であり、

しかも無双の豪傑です。

 

そんな益荒男が、

戦いに赴く直前に

自らの武運を祈って女装をする

ということはあるでしょうか?

 

ギリシャ神話の英雄アキレスが幼い頃、

戦争に行かせないようにと願った

母親によって女装させられた

というエピソードがありますが、

これだって安全を願ってのことであり、

戦勝を祈念したわけではありません。

 

 

このことから、

恐らくスサノオもヤマトタケルも、

「女装した」わけではないのだろう

と考えられるのです。

 

クシナダを守るために櫛に変えた。

櫛は髪に差すもの。

だから髪に差した。

 

クマソタケルの屋敷に忍び込み、

懐深くに入り込むためには

変装するのが良い。

だから女の格好をした。

 

ただそれだけのことだった、

と言えるのではないでしょうか。

 

 

つまり日本において男装や女装は、

それ自体に大きな意味があるのではなく、

必要ならそうする、

というだけのことだったと

筆者は思うのです。

 

だからこそ、

皇子であるヤマトタケルも女装するし、

それが必要なことであるならば

恥ずかしいことでも何でもないのです。

 

ゆえに、後の世になっても、

愛した相手がたまたま同性だった。

ただそれだけのこと。

というくらいのユル~い感じで、

同性愛は自然に受け入れられていった

のではないかと考えるわけです。

 

 

この普通っぷりというか、

必要ならそうしますよ?

くらいのアッサリした雰囲気があればこそ、

武家社会における衆道や、

女性以上に女性らしいのではないかと

思うような歌舞伎の女形などの、

先入観に囚われない様々な表現文化が

育まれていったのだと思うのです。

 

それは、前回語った戦うヒロインも同じです。

男の格好をして前線に立つ女傑たちも、

「男の格好をした」わけではないのです。

戦場に立つのならば、

それ相応の格好をする。

それが鎧武者の姿であるのならば、

男性と同じ鎧を身につける。

それだけのことです。

 

 

そして、同時に思うのです。

 

もし、女装をしたのが

皇子であるヤマトタケルでなかったら?

 

もし、日本初の戦うヒロインが、

天皇のお后である神功皇后でなかったら?

 

後に続く者たちは、

同じように真似をしたでしょうか?

 

 

やはりここにも、

日本神道における最高権威である、

皇室に連なる者たちが

率先してやってくれたからこそ、

という側面はあるのだと思うのです。

 

だからこそ、

後世に続く私たちも安心して、

むしろある種の誇りをもって、

同じように真似ができるのではないでしょうか。

 

 

 

こういった点から考えても、

日本の自由な表現の根底には、

神道と皇室が大きくかかわっているのです。

 

確かに男装女装、同性愛を、

「自然なこと」だというのは無理がある

と言わざるを得ません。

しかし、特別なことでもなく、

ましてや異常なことでも、

穢れたことでもない、

「様々な表現形態のひとつ」

として定着した背景に、

日本建国の神々や、

それに連なる皇室の方々が

率先して自由な表現のありかたを

作ってくれたからこそだと

筆者は思うのです。

 

そして、その結晶のひとつが

漫画やアニメ、ゲームといった

表現に辿り着いたのだとするなら、

筆者はもう、

高天原の神々に永遠の感謝を捧げるほかないと

言わざるを得ません。